日常話(1) その11
 命は蘇る。 
 何度でも、何度でも――。
 孫くんも、クリリンくんも、そしてヤムチャも、あと数日で生き返る――!

 命は蘇る。
 何度でも、何度でも――。 
 全てを賭けて戦い、それに敗れた無様な光景を何度も何度も繰り返して――!

 お祭り騒ぎが近い。
 中庭の一角に提灯が吊り下げられ、白いクロスを掛けたテーブルがいくつも並ぶ。
 三々五々、人も集まってきた。ベジータはその騒ぎに混ざらず、中庭に面した窓のひとつからそれを眺めていた。少し視線を先にやると、そこはブリーフ・ラボ。ベジータの宇宙船も完成して、いつでも発進できるようになっている。
(いよいよカカロットが‥‥)
 その、超サイヤ人とやらを拝ませてもらおうか。
 この腑抜けた地球で、命の重さも感じず鈍感に生きて、民族の誇りも隷属の恨みも知らない貴様がどんな『サイヤ人』になったのか、見せてもらおうか。
  
 昨日まで丸い石だった7つの物体が、淡いオレンジ色に光り始めた。輝きはだんだん強くなり、集まった皆の顔を照らすまでになった。
「いよいよ、ね‥‥」
 誰もが固唾を呑み、『その時』を待つ。

「タッカラプト ポッポルンガ プピリット パロ!」

 呪文の詠唱が終わると、やにわに空が暗くなった。闇の中で7つの珠の輝きはますます増し、点滅した。点滅は早くなりそれぞれの珠の間で渦を描くように動く。そして光の渦が空に伸びて、待ちに待った神の龍が姿を見せた。

『さあ、願いを言え。どんな願いでも3つだけ叶えてやろう』
「孫くんとクリリンくんの魂を、ここへ連れてきてちょうだい!」
『生きている者の魂だけを連れてこられない』

 孫悟空が生きている。
 衝撃の事実に、騒然となった。星がひとつ爆発して消滅する、その直中にいて、どんな奇跡が彼に起こったのだろうか。
 そして、ドラゴンボールで帰郷する手段も拒絶した。
 ベジータは歯噛みする。
 なぜ帰ってこない?
 超サイヤ人になって、きさまは何をしようとしている?

「あ、あれ?」
 素っ頓狂な声を出して、クリリンが蘇った。
「これって、まさか、オレ、また生き返、った‥‥?」
「おかえりーー、クリリンくーん!!」
「おかえりなさい、クリリンさん!!」
「よく頑張ったのう、クリリン」
「あっ、‥‥ただいまー」
 さすがというべきか、クリリンは早々に今の状況を把握したらしい。さっと辺りを見回して、ここが地球で、西の都のカプセルコーポレーションの敷地の中で、ブルマと悟飯、それに大勢のナメック星人が目の前にいるということは、全てが片付いた後なのだろう。
「よお、ベジータ。おまえも生き返ったのかー?」
 高い窓のところにいたベジータを見つけ、手を振る。が、ベジータは何も答えず、奥へ引っ込んでしまった。
「あーんなの、放っておけばいいのよ。さ、3つめの願いよ」
「へ?」
 こればかりは、さすがのクリリンも理解出来なかったようだ。まさかベジータが、130日前から地球でずっと暮らしているとは。
 
 3つめの願いによって、ヤムチャが生き返った。ただし、界王星で。100万キロメートルの蛇の道なるものを通って、あの世とこの世の境界を通過して、やっと下界に帰ってくるらしい。
 『復活おめでとう』パーティは、それまで延期‥‥ということもなく、それぞれで行おうという、きわめて単純な結論になった。
 悟空がこの場にいないのは残念だが、生きているということは証明された。気を取り直した悟飯もチチも、パーティに参加する。まだしばらく滞在することになったナメック星人たちも、ピッコロも、亀仙人も、再会がお預けになったプーアルも、皆が乾杯のグラスを持った。
「孫くんも生き返るもの、って思ってたから、料理がいっぱいなのよ。クリリンくん、遠慮しないで食べてよ」
「いただきますよー。ナメック星に出発してからずっと、レトルトばっかりでしたもんね〜」
 久しぶりの食事らしい食事に、クリリンは舌鼓を打つ。
「ところで‥‥」
 クリリンはさっきから気になってることを聞く。
「ベジータは、どうしてここに?」
「ま、なりゆきでね」
 ブルマはこれまでの経緯をざっと説明した。
「それで大人しく、130日を? よく無事でしたね」
「最初に約束させたからね。孫くんが戻ってくるまでは、大人しく待ってるって」
「でも、悟空は帰ってきませんでしたよ‥‥」
 沈黙。
 あの『戦うことが本能だ』と言い放つ凶暴なサイヤ人が、悟空が戻るまでの期間をリミットとしたからこそ、今まで特に問題も起こさず大人しくしていたのだ。しかし、悟空は戻ってこない。しかも、いつ戻るか分からない。ベジータの我慢の程度がどのくらいなのかは計り知れないが、もしかしたら‥‥。
「さっさと追い出しちまえばいいんだべ、あんな男」
 憎々しげにそう言うのはチチだった。好きこのんで戦いに身を投じる悟空はともかく、可愛い息子を満身創痍にした恨みは忘れていない。
「ロケットにでも縛り付けて、宇宙に放り出してやってけれ」
「ははは、冗談がきついなあ、チチさんは」
「オラは本気だべ」
 軽くいなそうとしたクリリンを、チチは睨む。
「なあに、大丈夫だろう」
 そう言ったのはブリーフだった。
「悟空くんが戻ってくるまで、今までどおりここに居てもらえばいい。まだまだ手伝って貰いたいことはあるし、ほれ、できあがった宇宙船の試運転をして貰ってもいい」
「渡しちゃうっていうの、あの宇宙船を?」
 ブルマは目を丸くした。宇宙船はいわば、ベジータから安全保障を引き出すための交換条件だ。今後のためにも、あれは渡すべきではない。
「そりゃそうだろう。せっかく作って、寝かしておくなぞ勿体ない。そうだなあ、例の79とかいう惑星も気になるが‥‥往復するなら燃料を倍にしなくちゃならんし‥‥ここはまず、木星までの航路を確立させるほうが先か‥‥」
「ああ、だめだ」
 呆れたようにブルマは額に手をあて、椅子の背もたれに倒れ込んだ。
「コレなのよ、クリリンくん。父さんったら、ずっとこんなカンジで、なんでもかんでもベジータベジータ。地球の危機より、ベジータが大事なのよ」
「おじさんとベジータさんって、仲いいですよね」
 ふたりの対面からずっと見ていた悟飯が言った。
「そーなのよね。ベジータも、父さんの言うことなら聞くのよ。研究室にも気軽に出入りしてるし」
 やだやだ、と首を振るブルマ。
「なにかあったんですか、ブルマさんとベジータさん」
 悟飯にも分かるほど、ブルマのベジータに対する態度は刺々しい。3人で乗ったスカイカーの中で、あれこれ興味津々に話しかけていたあの時と大違いだ。
「何もないわよ。あのサイヤ人が人に対する思いやりのカケラもない、変態の戦闘マニアだってことに気付いただけよ」
 イライラした口調で答えながら、グラスのマティーニを一気に流し込む。
「サイヤ人が変態の戦闘マニア、っちゅうのは、変えられんのかなあ」
 チチがぽつりと、漏らす。
「‥‥チチさん?」
「オラも悟飯ちゃんも待ってるっちゅうのに、帰って来んって。なーにを楽しいことを見つけたのやら」
 頬杖を付いて、大きく溜息を吐く。戦闘狂の好き勝手に振り回されている女が、ここにもいた。
「仕方ないわよ、孫くんだもん」
「そだな、仕方ねぇな、悟空さだものな」

 パーティはお開きとなり、帰宅する者、C.C.に滞在する者、とそれぞれに別れた。
「2、3日泊まっていってもいいのに」
「そろそろ自分の枕が恋しいですよ」
 明日にはヤムチャという恋人が戻ってくるのに野暮はできまいと、クリリンはブルマの誘いを断る。亀仙人の乗ってきたスカイカーに乗ろうとしたクリリンは、しかし思うところがあって足を止めた。
「あの、‥‥ベジータとちょっと話をしたいんですが」
「ベジータと?」
 クリリンは、中庭の奥へ顔を向けた。
「あそこ? あそこは父さんの研究室で、‥‥ああ」
 あんた達は気配が分かるのよね、と呟いて、ブルマはクリリンを案内した。
 室内に明かりが点いているのは、センサーが人の出入りを正確に感知しているからだ。中にいるのがブリーフでなければ、この男しかいない。
 ドアが開いて、ブルマと、それにクリリンが入ってきた。室内に佇んでいたベジータが普段着で、いますぐ出立するような格好ではなかったことに、クリリンはひとまず安堵した。
「‥‥なんだ?」
 まるでここが自分の居室で、二人は闖入者だとでも言いたげに、ベジータは振り返った。
「あー‥‥、えーと‥‥」
 クリリンは言いにくそうに、せわしなく瞬きながら視線をちらちら動かす。
「その、ナメック星では、いろいろありがとうな」
「はあ?」
「俺も悟飯も、何度か助けてもらって」
「そんな覚えはない」
 訝しげに、ベジータは眉を上げた。本当に(彼にとっては)心当たりが無いようだ。バッサリ切り捨てられて、クリリンは言葉を継げず、しばらく黙る。
「あんた、それが言いたかっただけ?」
「あ、いや‥‥」
 意を決して、クリリンはベジータに尋ねる。
「おまえ、これからどうするんだ‥‥?」
 
「たぶんさ、おまえのことだから、この地球をどこかの誰かに売りつけようとか思ってるのかもしれないけど」
 クリリンに指摘されて、そういえばそうだった、と思いだした。もともと自分たちはそれで生計を立てていたのだ。フリーザが消えても、取引先はまだ残っている。宇宙の各所にあるフリーザ基地を自分のものにするのは、今や容易い。
 ‥‥ということに、とっくに興味を失っていることなど勿論クリリンは知らない。
 けれどベジータは否定も肯定もせず、クリリンの次の語を待った。
「それはもうちょっと待ってほしい」
「待て、だと?」
「何よそれ! アンタ、そんなこと考えてたの!!?」
 ブルマが目を吊り上げて割り込んできた。
「なにかおかしいか? 俺たちの商売は、お前も知っていたはずだろう?」
「地球を売るなんて、聞いてないわよ!」
「田舎とはいえ、環境だけはいい。近くに大きな惑星もあることだし、開拓の余地はあるな」
「言っておくけどね、そんなことはさせないんだからね! アンタをブッ殺してでも、止め‥‥」
「ほう、どうやって?」
 スッと、ベジータの表情が消えた。この下等な地球人の女風情が、よりによって自分を『殺す』とほざいた。
「面白いな。おまえが、このオレを殺す、だと?」 
 血の気が引く、というのはこういうことか、とブルマは悟った。
 低く、淡々と言葉を発すベジータからは何の感情も読み取れない。まだ怒ってくれたほうが分かりやすかった。
 ――思い出した、ナメック星で始めてこの男を見たときのこと。
 殺気に満ち、ドラゴンボールへの欲望に滾っていて、その熱が近付いてくることに自分は恐怖した。
 分かる、あの時の感覚は分かる。危険にさらされて震えていたのだ。
 けれども、今は。
 そうだ、あの時も。
 ナメック星人の宇宙船について議論を交わしたときにも浴びせられた、この感覚。
 静かに、冷ややかに。命の危険はない、それなのに。
 この、背筋を凍らせる彼の感情はなにか、とブルマが考え、思い至った答えは『軽蔑』だった。

 膝が震える。
 まともに立っていられなくて、脇にいるクリリンにしがみついた。
 軽蔑、ですって?
 常に賛美や礼賛が注がれるこのアタシが?
 これまでの人生に於いて、こんなにも屈辱を味わわれたことはなかった。
 鼻腔が熱くなるのが分かって、視界が滲んでくる。
 それを悟られまいと、必死で堪えた。泣けば、己の惨めさを認めたことになる。
 何か言い返さなければ。
 溺れかけた魚みたいに、口だけがぱくぱく動く。なのに、何も出てこない。 
 クリリンを掴む手に力が入る。
 クリリンの肩も震えていた。
 ――なにをボーッとしてんのよ、アンタなら戦えるんでしょう? 

「――俺たちには、おまえを殺せない」
 クリリンは現状をあっさり認めた。
(なに、言ってんのよ! ハッタリでもなんでもいいから、コイツにガツンと言ってやりなさいよ)
 真横のクリリンを睨む。クリリンは大きく息を吐き、呼吸を整えた。
「俺たちは、おまえに敵わない。ピッコロも、界王様のところで修行したっていうヤムチャも、たぶん無理だろうな。もちろん、地球上の兵器を集めたって、おまえにかすり傷ひとつ負わせられないだろう。いま、おまえが地球を更地にしようとして、抵抗できる手段は何一つ無い。」
「よく分かってるじゃないか」
 張りつめていた空気がほぐれたのが分かった。
 ベジータは、クリリンと話をしている。
 話をする気になっている。
 ブルマは歯噛みした。と、同時に安堵もした。そして安堵した自分に、また腹が立ってきた。
「だったら、今じゃなくてもいいだろう? おまえとまともに戦えるのは、悟空しかいないんだ。だから、あいつが帰ってくるまで、待ってほしい」
「いつ帰ってくる? 俺はそんなに、気が長い方じゃないんだ」
「そんな、1年も2年もかからないさ。あいつには嫁さんも子供もいる、すぐ帰ってくるよ」
「家族恋しさにか。そんな甘っちょろい感情が、なんの根拠になる。カカロットはサイヤ人だ」
「『スーパーサイヤ人』、だろ?」
 それはクリリンの明らかな挑発だった。ベジータの眉がつり上がる。クリリンはその反応を待っていたようで穏やかに笑っていたが、うっすら汗が浮かんでいた。
「見てみたくないか? 悟空がなった『スーパーサイヤ人』ってやつを。俺は見たいぜ。――だから、それまでに地球が無くなると困るんだ」

 しばらくベジータは返事をしなかった。返事をしないまま、クリリンを睨んでいた。上から下まで、値踏みするように。
 今のベジータは、地球をどうこうするつもりはない。しかしそれは逆に言えば、今すぐ目の前の宇宙船を奪い取り、地球を粉みじんにして脱出するのも自由と言うことだった。
 クリリンは、待て、と要求してきた。
 こいつは、己が行っている交渉がどれほど自分を縛り付けるものなのかを分かっていて、その上で交渉しているのだ。

「――貴様が、この俺に要求するのは、2度目だな」
 フッ、とベジータは険を解いた。
「貸しはでかいぞ」
「ああ」
 クリリンは緊張の限界だったのだろう。ベジータがラボを出て扉の閉まった音を聞いたと同時に、腰を抜かすようにへたりこんだ。
「‥‥へへっ、カッコ悪いっすね、俺」
 力なく笑うクリリンに、「そんなことないわよ」と慰めるブルマだが、その声は引きつっていたかもしれない。

 あの男は、出ていくときに一瞥もくれなかった。











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