日常話(1) その8
 それからの日々、ブルマはナメック星とそこの住人の研究に没頭した。
 自分が初めて触れた宇宙の世界という愛着もあったし、彼らが130日後にはいなくなるという焦りもあった。
 何より、調べれば調べるほど、自分の常識がひっくり返る思いと、常識のタガが外れて視界が無限大に広がっていく思いとを感じて、止められなくなった。
 午前中はナメック星人たちと触れ合い、語り合い、午後は持ち帰った土や水の分析をする。そして夜になると、ベジータを捕まえて議論を交わすのがブルマの日課になった。

 ベジータはというと、開発センターの重力室が使えなくなった今、地球のそのままの自然環境でトレーニングをせざるを得なくなった。けれども、地球という星は惑星ベジータより大きなぶん、さまざまな環境に満ちていた。空気の薄い高所、水圧の高い深海、寒冷地、極暑、凶暴な野生動物、密林、等々。重力の小ささを補って余りある、体を鍛えるに事欠かないものだった。
 朝のうちはブリーフとの約束どおり、地球脱出のための宇宙船製造に協力する。ベジータの持ち込んだ『操船マニュアル』だけでは説明出来ない機器のあれこれを、開発スタッフに教え込むのが彼の役割だ。さすがブリーフが『精鋭』と賞するだけのことはある彼らは、ベジータの持ち込むデータの全てをみるみる吸収し、フリーザ軍の技術部と何ら劣らぬ、否、それ以上の反応を見せた。毎日、思い通りの要望が組み込まれ出来上がりつつある己の宇宙船の進捗状況に満足すると、バー・フードを持って修行に出る。日没までたっぷり動いたあと、夜の『点呼』のために戻ってくる。それから、食事をしながらの活動報告‥‥といっても、ベジータ以外の人間がしきりに喋る、それを聞き流すだけのことなのだが。
 リビングのソファにデザートと共に移ってから、ブルマとの戦いでしめくくって一日を終える、それがベジータの毎日だった。

 ベジータは意外とよく話をした。
 彼自身の知識の蓄積か、それともあの圧縮データなるもので無理矢理詰め込んだ知識か(それがどっちかは、ブルマにとって全く問題ないことなので尋ねもしなかったのだけれど)、ベジータの頭の中には様々な星の、それぞれの生物と文明についての情報があった。
 夜という、食事も済んであとは休むだけ、という時間を選んだのも幸いしたか、ベジータはブルマが話しかけてきてもそれを断る口実を作れず、結果、議論に付き合うことになっている。
 最初こそ、手持ちの情報量の差でブルマの仮説は下らないとあしらわれていたが、日を重ねるにつれベジータを言い負かすこともあった。そうなると彼もまた負けず嫌いなのか、翌日の日課を自分から待っている時さえある。

 ある日、ブルマがいなかった。
 家族は予定を聞いていたようで、夕食の席に彼女がいなくても気にしてはいなかった。ベジータは、あの女がいなくても食事の席は変わらずやかましいのだな、と夫妻を見てぼんやりとそんなことを考えていた。
 2、3日して、ブルマは戻ってきた。
 しかし、ダイニングには降りてこなかった。
 これは夫人にとって不測の事態だったようで、「先に召し上がってらして」と他の者に勧め、壁にある通話機へ向かった。
「ブルマさん、どうなさったの? ‥‥‥‥あら、そう。無理してはだめよ」
 通話機を戻し、自分も席に着く。
「ブルマはどうしたのかね?」
 博士も心配そうに尋ねる。
「今はいらない、ですって。何かあったのかしら」
「ふうむ‥‥」
 この日の食卓は、ずいぶんと静かなものとなった。

 ブルマの食器に盛られ、手つかずで残ってしまった料理は容器に移し替えられ、冷蔵庫にしまわれた。夫人は溜息をつきながら、同じ冷蔵庫から果物を取り出す。
「今日は、苺があったのにね」
 独り言を呟き、取り出したそれをベジータの前に持ってきた。ベジータも聞いたことがある、この果物は女の好物だと。大ぶりでつやつやしたそれは、かなり上質のものと思われる。
「ベジータちゃん。おなか、まだ入るかしら。こっちもお召し上がりになる?」
 ブルマのぶんの皿を一緒に出してくる。ベジータのものと比べて、半分以下の中身など、量のうちに入らない。ベジータは受け取ると、それも平らげた。見た目の期待通り、甘く、瑞々しい苺だった。
 後かたづけは家事ロボットと自動洗浄機に任せておけばいい。ダイニングに用事の無くなったベジータは、部屋に戻ろうとした。
 
 ダイニングからリビングを通り抜け、通路に出るとあとはまっすぐと居住スペースが続く。いちばん手前が、ブルマの部屋。間に別の通路を挟んで、その奥に階段。下に降りるとベジータやウーロンの部屋、そして今は無人の、もう一人の同居人の部屋がある。
 自分の部屋へ向かいながら、ふと、ベジータは立ち止まった。
 手前の通路‥‥右へ折れるそれの向こうに、灯りが見えた。
 通路の先は、ブルマのラボである。
 てっきり部屋で臥せっているのかと思っていたが、そうではなかったようだ。
 ラボは、居室と違いドアに磨りガラスの窓が嵌められている、灯りはそこから見えた。
 数日留守にしていたかと思うと、飯も食わずこんな時間まで没頭する、いったい何の研究をしているのか?
 軽い好奇心と共に、ベジータはそちらへ向かった。

 ラボへ続く通路は中庭の上空を横切る作りになっている。
 眼下に、相変わらずジャングルのようなごった返した植物群と、それに混じって、昼夜構わず動き回るナメック星人がいた。彼らは今も尚、夜を面白がっているようだ。もともと睡眠を必要としないのか、生体活動のサイクルが根本的に違うのか、地球の24時間と異なる活動をしている。さらに彼らの居室は別館のほうにあるので、ベジータはナメック星人の顔を見ることはほとんどなく、連中が同居していたことすら忘れていた、そんなふうであった。
 通路を渡りきり、ラボに着く。
 ‥‥と、何かの気配を感じた。
 微かに、ほんの僅かに。
 いや、気配とも言い難い、なにか違うもの。
 巨大なような、ごく小さいもののような。
 熱のあるような、ないような。
 在室のブルマのものでもない、ネコや鼠のようなものでもない。
(気のせいか?)
 そう思ってしまうほど、気配は一瞬で消えた。

 奇妙な感覚のまま、ベジータはブルマのラボに入るドアを開けた。 
 そこで小さく、声を上げた。

「‥‥ベジータ、どうしたの?」

 ラボの真ん中に、巨大な生物が立っていた。

 と、ベジータは錯覚した。
 それは生物ではなかった。四つ足で、いくつも目を持つ、くすんだ緑色の‥‥宇宙船だった。
 これを、生物の気配と間違えたのだろうか。まさか、と思いながら、ベジータはそれに近付いた。

「なんだ、これは?」
「ああ、あんたは見るの、初めてかしら? ナメックの宇宙船よ」
「これが?」
 歪な突起をいくつも持ち、不均衡な胴体。金属とは違う素材。およそ、工業製品とは思えない。上部に、何らかの事故の形跡か、大きな穴が空いている。その断面は乾いてひび割れた素材の名残がこびりついていた。
「こんなのがまともに飛ぶのか?」
「あたし達はコレで、地球からナメック星へ飛んだわ。34日でね」
「この穴は?」
「ナメック星に着いた途端、あんたのお仲間にドカーン、よ。ああ、仲間じゃなかったっけ」
 おそらくフリーザの部下のことだろう、と察する。
「これを修理しようとしてたのか」
 宇宙船の外壁に手を遣る。ざらざら、ごつごつして、厚みも揃っていない。
「素材はなんだ?」

 それはここまでの会話の流れで、何て事のない問いのはずだった。
 だがブルマは、ベジータがそう尋ねると、顔を左手で覆って椅子に座り込んだ。 

 ブルマは黙ったまま、しばらくその姿勢だった。
 ベジータは少々苛つきながらも、彼にとっては辛抱強く、答えを待った。
 やがてブルマは大きく息をつき、ぽつり、ぽつりと話し始めた。

「‥‥ねえ、前に話したじゃない。ナメック星人は被服も意志で作ってる、って」
 ナメック星人とはどこまでも不思議な能力を持つ。彼らの身につけている衣服、あれも何もない空間から生み出せるのだ。否、『何もない空間』ではない。彼らの言を借りれば、「この星のあらゆる場所にあるあらゆる物を借りて」だ。大気中に漂う原子をも操作し、結合させ、己の意志のままに形作ることが可能なのだ。
 彼らの肉体は、その持ち物全てに至るまで星からの借り物であり、そして死ぬときは全て星に還す。だから彼らは、肉体を残さず死とともに消滅する‥‥それがブルマの仮説だった。
「だったら、この宇宙船は、どうやって造られたのかしら?」
 被服と同じように、念じて作ったのか?
 ならばもっと多く作り、多くのナメック星人が星を離れることも可能だったはずだ。
 しかし、地球に辿り着いたのはたった一人‥‥ピッコロだけ。
「想像したのよ。異常気象でまともに住めなくなる環境。高度な工業文明があったとして、それは動いていたのかしら?」
「動けるんじゃないか? 異常気象など、一晩でどうこうなるものでもなし」
 惑星が環境で破滅に向かうとなれば、それはゆるやかに行われる。人の手で、一瞬で破壊されない限り。
「滅亡の直前まで動いていたなら、その痕跡があるはずよ。でも、あたしの知る限り、あの星には何もなかったわ。‥‥あんたは、集落を見たんでしょう? どうなの、あの星に、高度な文明があったことを残すものはあった?」
 ブルマの問いに、ベジータは首を振る。
 原始的な粗末な家に、貧相な植物の植栽。彼が見たあの星の文明は、それが全てだ。

 彼らは『全て』を作ることが出来る。被服も、家屋も、おそらく身の回りにある道具ひとつひとつを。
 意志で作れる、ならば、それを作り出す工場などはもちろん必要ない。
 そんな世界で作られた、巨大な宇宙船。

 あまりに異質だ。

 ピッコロと、かつての最長老、もしかしたらもう何人か(それでも、多少なりとも繁栄しただろう民族の生き残りにしては少なすぎる)。
 惑星そのものは残っている、惑星ベジータのように爆発してはいない。
 それ以外のナメック星人たちはどこへ消えたのか?
 工場も持たずに、宇宙船を造り得た理由はなんだ?

 ベジータは、この研究室に入る直前に感じた、あの謎の気配を思い出した。

「‥‥なれのはて、か」
 四つ足の不格好な宇宙船を見上げて、ベジータは呟いた。
「そんな言い方しないで」
 ブルマは怒ったように言い返した。
「事実だろう。どれだけの数の集合体か知らんが、ここで死骸を晒しているだけだ」
「この『人』たちはね、たった一人の子供を守るために姿を変えたのよ! ナメック星人はたった一人でもいれば命を繋ぐことが出来る、そう思って!」
「そして無事に地球に到着しました、メデタシメデタシ、だな。何が不満だ?」
「何が、って‥‥」
 ブルマは言葉に詰まった。
 違う、そんな話をしたかったんじゃない。
 何十年も、何百年も前に栄えた種族の、生き続けたいという願望。
 それと知らずに、面白半分にいじくっている自分。
 そしてノコノコ神様の宮殿を訪れて、この仮説を突きつけてしまった自分。
 後悔しているのよ、アタシは。
 ひとつの滅びかけた民族の歴史に中途半端に首を突っ込んで。
 彼らの最後の願いを託した児が地球人の汚れで使命を忘れたことを知って。
 骸となりながらも辿り着いた彼らを自分のオモチャにしてしまって。

 ああ、なんで今、ヤムチャがいないんだろう、と思った。
 ヤムチャならきっと、今のアタシの気持ちを分かってくれる。
 きっと優しく、肩を抱いて、アタシは何も悪くない、って言ってくれるのよ。

 口を閉ざし、俯いたブルマに、ベジータは煩わしそうに舌打ちした。
「喜ばしいことなんじゃないか、労せずして異星人のテクノロジーが手に入って」
「はぁ?」
 無神経な物言いに、思わず顔を上げる。だが、ベジータは皮肉を言っているようではなかった。
「せかせか拾い集めた泥や水なんかを分析するより、よっぽど効率がいいだろうよ、この宇宙船を分解する方が」
 アタックボールの破片に記された微々たる情報ではなく、チップに記された圧縮データを瞬時にディスプレイに表示させたときの、あの歓喜の声を忘れてはいない。
 あれとこれと、何が違うのか。この女は何をこんなに感傷的になっているのか、ベジータには全く理解出来ない。
 もしブリーフであれば、小躍りしているのではないか。
 いや、中庭に蠢いているあのナメック星人のひとりふたり捕まえて、解剖したいと言い出すかもしれない。
 ‥‥少なくとも、フリーザ軍の技術者たちであれば、そうだ。
 こんな面白そうな素材を目の前にぶら下げられて、探求の手が止まるなどと、ありえない。
「な、なによ! アンタは、ナメック星人さん達に対して、かわいそうとかいう感情は無いわけ?」
「無いな」
 即答。
「おめでたい女だな。カワイソウだと? それでこの死骸は喜ぶのか? お哀れみをアリガトウゴザイマス、ってな」
 虫酸が走る言葉を女が吐いた。
 死骸が何を語る? 俺は知っている、何もない。ナメック星で俺は死んだ。胸に空いた穴の痛みも遠ざかり、目はかすれ、音は遠ざかり‥‥それきり何も感じちゃいない。
 誰かが俺を埋めていた。誰が埋めたか、何かを語りかけたか、そんなことは知らない。
 弔うなぞ、ただの自己満足だろう。
「あ‥‥アンタだって、最後のひとりなんでしょう! それなのに、何とも思わないの?」
「思わない」
 サイヤ人が死んだのは、弱かったからだ。
 弱い者は駆逐される。それが自然の摂理だろう?
 天災であれ、暴君の手であれ、生き残れなかったのは弱かったからだ。
 それを?
 大好きなテレビ・ショウを見るみたいに、まるきり傍観者の席で、カワイソウ、ナントカシテアゲナクチャ。

 結局はこの女は、中途半端なのだ。
 面白がって宇宙船をこねくりまわし、ナメック星人の生態にご託を並べているが、しょせんお嬢様のお遊びか。
 こんな女とこれ以上話す価値もない、とベジータはラボを後にした。
「ちょ、ちょっと、待ちなさい、‥‥よ」
 呼び止めたところで、それ以上何かを話したいわけではない。声は尻すぼみになる。
 見捨てるように、ベジータは廊下に消えた。
 やりきれない思いで、ブルマはそこにへたり込んだ。
 思いがけず、涙がこぼれる。
 くやしい。
 あの男に、何も言い返せなかった。
 さみしい。
 ひとり、取り残された。
 なんでアンタはさみしくないの?
 たったひとりのくせに。
 
 くやしい。
 
 さみしい。

 なんで今、ヤムチャがいないんだろう。


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