日常話(1) その7
 宇宙とはどれほどの可能性が秘められているのだろうか!
 ブルマは目の前に広げられた、膨大なデータに見とれ、もう何時間も、まばたきをすることすら忘れていた。
 アタックボールと呼ばれる小さな宇宙船の操作マニュアル、言ってしまえばそれだけのものだ。
 しかしネジの素材ひとつ、操作ボタンの配置ひとつ、何をとっても、地球のそれまでの思考回路では思い至らないものばかりだ。もしかしたら普通の人には、これが素晴らしい技術だと気づかないかもしれない。これの素晴らしさを理解し、咀嚼し、現代の地球のテクノロジーの発展に活かせるのは自分しかいない、そう考えるとゾクゾクした。
 
 そしてもう一つ。
 ブルマは傍らに置くカプセルケースに目を遣った。
 もう一つ、彼女は持っている。
 ナメック星の、古代宇宙船。

「なんてロマンチックなのかしら」
 ラボの真ん中でカプセルを展開すると、宇宙船が現れた。ナメック星で開けられた穴が痛々しい。
 金属ではない、柔らかい手触りの素材。何かの生き物を模したかのような、突起の多いデザイン。機能性のみ追求した無駄のない丸い宇宙船とはまた違う、穏やかな宇宙船。もしかしたらナメック星人という人種だからこそ、こういう形が作り得たのではないだろうか。
 ピッコロが地球に降り立ったのは、何千年も昔。その頃の地球はきっと、頭上に輝く星のその向こうに別の世界があるということすら、知らなかっただろう。
 そんな時代に、かれらはすでに宇宙船を作っていた。ほぼ絶滅する以前には、とてつもなく高度な文明を築いていたに違いない。
「あの子たちが、この宇宙船を見たらなんて言うかしら‥‥」
 そうだ、ぜひ見せてやろう、と思いたって、ナメック星人たちのいる中庭に飛び出した。

 宇宙船を見たナメック星人たちの反応は、さまざまだった。
 宇宙船を見知っている者、知識だけなら知っている者、全く知らない者、等々。単純に歳の大小ではなく、それは個体差だった。そして意外にも、年少のデンデがこれを「知っている」と答えたのだ。
「学校で習うの? こういうのって」
「ガッコウ‥‥?」
 言ったあとでブルマは、意味が通じるわけがなかったと反省した。
「この宇宙船が作られた頃って、デンデくんは生まれてないでしょう? 誰からどんなふうに教わったの?」
「えーと、生まれたときから知ってた、ん、ですけど‥‥」
 おかしなことを言ったかと、不安そうにブルマを見上げるデンデ。
 ブルマはハッとして、回りにいる他のナメック星人に片っ端から訪ねてみた。
「ね、もしかしてあなた達って、親の記憶を受け継いだりするの?」
 ピッコロ大魔王が残した子が、生まれ変わりとして今のピッコロで有るように、ナメック星人とは記憶を次世代に受け継ぐものなのか?
 ブルマの仮説は正解だった。
 彼らは個体の記憶を継承する。
「だったら!」
 もっと知るべきだ、吸収すべきだ、あらゆる知識を。
 これからゼロからの再興となるナメック星に、それは必要だ。
 身分証明書ができるまで、待ってなんかいられない。今すぐ、外へ行こう。

「もうできてますよ」
 と、ブルマの母親は呆れたように言った。
「も〜、ブルマさんってば、いつまでもラボにこもって、朝ごはんにも降りてこないんですもの。ベジータちゃんはとっくにカードを持って出かけましたよ」
 ナメック星人のそれぞれのIDカードを、娘に手渡す。
「おでかけなさるのは結構ですけど、お化粧ぐらいなさいね。目の下、クマで真っ黒よ」
 指摘されてようやく鏡を見る。言われたとおり、目が落ちくぼんで充血している。そうだ、夕べは資料に夢中でほとんど寝ていなかった。
 これでは今日は出かけるのは無理か‥‥と一瞬、考えもしたが、たぎった好奇心は抑えられない。さすがに自分で運転をするのは無理そうなので、懇意のハイヤーを呼んだ。
「お待たせ、みんな! 今から出かけるわよ!!」
 用意されたIDカードは4人分、その中にはデンデもいた。

 呼びつけた運転手は慣れたもので、C.C.の奇妙な風貌のゲストに対して何ら表情は変えないし、余計なことも聞いてこない。もっとも、ここは西の都。世界中でもっとも多種多様な人種の集まる都市でもある。たかが肌が緑色ぐらいでは、誰も驚かない。
「さ、何が見たいかしら?」
 後部座席の4人に振り返り、ブルマは尋ねる。返ってきた答えは、『普通の暮らしの風景』とのことだった。
 考えてブルマは運転手に、科学博物館へ、と伝えた。スクールの子供たちが校外学習で使うとき以外は誰もいない、展示物もありふれた何て事のない科学館だ。それでも、宇宙の誕生から人類の進化までひととおりの掲示物が揃っている。宇宙人に地球を知って貰うスタートには丁度いいかもしれない。
 ブルマの思惑どおり、ナメック星人達はこれらに食いついた。さまざまな展示を見て、あれはなにか、これはなにか、と尋ねてくる。展示物もそうだが、おもしろいことに彼らは、脇に掲示してある解説文にも興味を抱いた。
「これは文字ですか?」
「そうよ。ここにあるのは2種類の文字ね。一番上が、西の都の標準語。下のが、中の都とかで使われてる公用語」
「たくさんあるんですね」
「まだまだよー。このパネルにあるのは、この掲示物の案内、それもほんの少しだけだもの。それぞれの国で、それぞれの言葉があるから、世界中の文字を集めたら、この標本の解説だけで本ができるわ」
 ナメック星人には、文字が珍しいのだろう。
 個体の記憶は次世代に継承される。それが可能な種族なのだから、記録を残す必要もないのだろう。ナメック星にいたとき、どこにも文字らしいものは見なかった(というほど、住人の集落に近づきもしなかったのだけれど)。
 文字とは、人類の英知が生んだ最高の発明だと思っている。しかし、彼らはそれを凌駕した位置にいる。彼らの前では、この西の都の最先端技術すらも原始的に見える。 
 もしかしたらナメック星人とは、生物の進化の究極の形なのかもしれない。
「『本』って、何ですか?」
「それこそ、知識の蓄積を具現化させたものよ。‥‥そうだわ、次は本を見にいきましょう!」
 思い立ってハイヤーに戻ると、ブルマは次に商店街の裏通りを運転手に指定した。

 本を見たいなら、図書館に行くのが正解だろう。
 しかしあそこは電子化が進んで、どんなジャンルの本も規格どおりの小さなチップに置き換えられている。
 ブルマは商店街の裏通りにある、カビくさい古書店を選んだ。
 製本された本が、天井いっぱいまである棚を隙間無く埋め尽くし、1冊の本を抜き取るのも苦労する、そんな店だ。
 予想どおり、ナメック星人は溜息混じりの声を上げた。
「‥‥これが、本?」
「ええ、ステキでしょ?」
 手近にある本を手に取り、中をぱらぱらめくる。『近代文学全集 第2巻』と書かれたその本は、素っ気ない赤茶色の表紙に箔押しされたタイトルと編者名があるだけのシンプルなもの。中も負けじと無機質で、文字が等間隔にならぶだけだ。けれども彼らに見せればこれすらも、刺激的なものと映っている。
「文字だけじゃなくて、絵もあってね‥‥。それから、本の作り自体もいろんなデザインがあって‥‥」
 いいながらブルマは、自身の興味のために本棚に目を遣る。久しぶりに訪れた古書店だが、いつ来てもココは楽しい。時々、運試しのように何か本を買ってみる。面白い本に当たればラッキーだ。今もそんなつもりで背表紙達の行列を端から順に見ていった。
 そして、ふと、気になるタイトルを見つけた。

「『武泰斗論』‥‥?」

 聞いたことがあるような、無いような名前。
 著者はギェフ・ゲイローン。こちらは全く聞き覚えのない名前。いまどき珍しく、姓と名が分かれている。そうとう年配なのだろう。ということはかなり古い本だ。こんな発見も、古書店ならではだ。
 ページを刳る。人体の体内にある潜在エネルギーを自在に操作する技術がどうこう、と‥‥。
「ふうん‥‥?」
 さあ、今日の運試しはどうなるか。ブルマはその本を、レジカウンターに乗せた。

 次はどこへ行こうか、とハイヤーに乗り、次の計画を立てているとき。
 ブルマの携帯電話がけたたましくなった。普段の通話ではない、C.C.専用ラインからの着信だ。
『緊急連絡! 宇宙開発センターで崩落事故! 緊急連絡!! 宇宙開発センターで崩落事故!! ‥‥』
「事故ですって!!?」
 さあ、っと血の気が引いた。
 あそこは大きな研究所だ。人も大勢いる。いったいどれだけの事故か、アラートだけでは何も分からない。
 突然の報せに、ブルマはハイヤーから飛び降りると、自身のカプセルポーチからスカイバイクを取り出した。
「運転手さん、その子たちをウチまで連れて帰ってね!!」
 言い終わる間もなくエンジンを噴かし、宇宙開発センターに向かって発進した。

 ブルマが自分の手で改造したスカイバイクは、都心から郊外のセンターまで、彼女を5分とかけずに到着させた。
 傍目には、事故があったことはわからない。もともと広い敷地内の、中の方で起こったのだろう。それでも、非常事態を告げるアラームは赤い光りと共にガンガン鳴り響き、建物の外に大勢の所員らが出てきて、ざわついている。
「ブルマさん!!」
 所員のひとりがブルマの姿を認め、声をかけた。
 急ブレーキに車体がしなる。それを蹴飛ばすように飛び降りる。バイクが倒れたが、そんなものはどうでもいい。
「どこで事故が!?」
「素材開発部の、耐久試験ルームです」
 過重力装置を設置してある部署だ、そのため相当の耐久性を持たせているはずである、まさかそこが崩落するとは、いったいどんな大事故だろう!
 歯の根が噛み合わない、それでも声を振り絞って状況の確認を続ける。
「怪我人は?」
 あの部署には12、3人ほどの所属がいたはずだ。
「ベジータさんが‥‥」
「ベジータと、それから!?」
「ベジータさんだけ、です」
「ベジータ、だけ!?」
 ふ、っと緊張の糸が切れた。ようやっと呼吸が落ち着いて、大きく息を吐くことが出来た。 
「なぁんだ」
 あっけらかんと言ってのけたブルマの態度に、所員の男は困惑している。
「試験場の、天井がごっそり落ちて、中にいたベジータさんが下敷きに!」
「ベジータの他は、誰も怪我をしてないのね?」
「は、はい‥‥」
「ありがと、分かったわ、大丈夫」
 男に礼を言って、ブルマは建物の中に入ろうとした。その時、遅れてブリーフも到着した。彼もまた、慌てて来たのだろう、髪を振り乱して駆け寄ってきた。
「ブルマ! どうなっておる?」
「試験場の天井が落ちて、ベジータが潰されたんだって」
 落ち着いたブルマの回答に、ブリーフも察した。
「おお、そりゃ大変」
 いつもの呑気な口調に戻る。
「どうだろうね、ベジータ君は」
「とりあえず、様子を見てくるわ。ああ、あなた。みんなにも、心配しないように伝えてちょうだい」
 あんぐりと口を開けた所員にそう言って、ブルマは事故現場を目指した。

 到着した素材開発部。試験ルームは、ぽっかり穴が空いていた。ここは、ベジータの要求に応じて10倍の重力をかけ続けた場所だった。
 目の前で天井が落ちてきたと言うのに、何人かの開発部員が、そこを離れずにいた。誰もが、目の前で起こったことを信じられないようなふうに呆けている。
「みんな、無事か?」
 ボスの到着に、ようやっと彼らは我に返った。
「ベジータ君は?」
「‥‥休憩室です」
 彼らの見た『信じられないような』できごとは、むしろこっちだった。
 頑丈に作られた試験場の、分厚い天井が落ちてきた‥‥重力をかけていたせいで、崩れた建材はすべて試験場の中心に向かって‥‥唯一室内にいたベジータに、その全てが落ちてきた。
 だというのに、何事もなかったようにベジータは、平然と瓦礫を押しのけ、自力で出てきたのだという。
「ブルマや、こっちはわしが見るから、おまえはベジータ君を見てきてくれ」
「はーい」
 そして所員らは、このとんでもない報告をあっさりと受け入れるブリーフたちにも、呆気にとられてしまうのだった。

(くそっ、脆い作りをしやがって‥‥)
 床と壁と天井のそれぞれを接地点にして跳躍を繰り返していた。10分程度繰り返したところで、天井にある照明装置の周辺にヒビが入った。そこからはあっという間だった。天井に亀裂が走り、それは壁まで届き、崩れた建材の全てが重力磁場の発生源である床を目指して集まってきたのだ。もちろん、その進路上にはベジータがいた。
 普通の人間なら圧死してしまう重さと衝撃だが、ベジータにとっては蚊にさされたほども感じなかった。瞬時に頭を守り、体中の筋肉を硬直させてエネルギー波を全身に纏わせる。物質の落下エネルギーに押されはするが、それだけだ。静止すれば、あとは障害物を排除して脱出すればいい。
 そしてベジータはその通りに動き、瓦礫を掻き分けて明るい場所に出た。着衣はボロボロになっていた。だが、これもトレーニングの途中から、摩擦のあたる部分がほつれてきているのを知っていた。
 何もかもが脆い。戦闘力の低い民族には、この程度でいいのだろう。
 瓦礫の周りを取り囲む連中の顔がいっせいにこちらを向いている。どいつもこいつも青白い顔をして、バカみたいに口をぱくぱくさせている。何を怯えてやがる、天井が落ちたぐらいで大騒ぎしやがって。
 こんな虫けらみたいな連中を相手にするのも130日の辛抱だ、と自分に言い聞かせてベジータは、手荷物を置いてある休憩室へ向かった。
 手荷物、と言っても、置いてあるのは脱いであった上着ひとつだけだ。
 ポケット探り、中から夫人に持たされたカプセルとIDカードを出す。カプセルと開けると、バー・フードの包みが湧いて出た。飲み物は入っていない。水分を摂りたかったベジータは舌打ちをすると、水道はないかと室内を見回した。
 壁面に機械が設置してあって、見覚えのあるミネラルウォオーターの瓶や、似たような飲料らしきいくつかの瓶が並んで表示されていた。
(提供機、か)
 どうやって操作するものか、と思案すると、下部に平らな台があり、その上にカードを持った手の描かれた絵があった。
 試しにIDカードを乗せると、ピッと小さく音がして台が光り、続いて瓶の絵の下に赤いランプが灯った。ミネラルウォーターの瓶の下にあるランプに触れると、絵が真ん中から割れて左右にスライドした。絵の奥には空洞があり、そこに本物の瓶が入っていた。
 ブルマが休憩室に入ってきたのは、その瓶を受け取ろうと手を伸ばした時だった。

「あ、いたいた。‥‥って、ずいぶんボロボロね」 
 ベジータの姿を見つけたブルマは正直な感想を漏らした。何しに来たのか、と女を一瞥し、ベジータはミネラルウォーターの瓶を取った。左右に開いていた絵は元に戻り、提供機はまた静かに壁の置物になった。
「へー、使い方、分かったんだ」
 自動販売機から水を買ったベジータを見て、ブルマは感心した声を漏らした。
「父さんにでも教わった? 使い方」
「見れば分かるだろ」
 瓶の絵、カードと手の絵、あちこち光るライト、認識音。たしかに、カードが買い物に使えるものだという説明は最初に受けた。しかしそれさえ知っていれば、あとは推測で判断できるものばかりだ。
「ふうん。宇宙人にも分かるぐらいなら、地球のピクトグラムは完璧かしらね」
「限られた形状の人間型にしか通用しないものの、何が完璧か」
「あら、人間型って、そんなに少ないものなの? ナメック星で何人か見た種族は、みんな二腕二脚だったわ」
「末端の感覚器になると、どいつもこいつもバラバラだぞ」
「そうね、ナメック星人だと、指は4本だしね」
 ブルマは愉快そうに笑い、ベジータの向かいの椅子に腰掛けた。
「さっきもね、ナメック星人さん達と街に出てたのよ。知ってる? あの人たちって、性別が無くて、単為生殖なの」
「下等な生物だろうからな」
「あら、そう思うの? とんでもないわよ。あたしはね、生物の究極の進化に一番近いんじゃないか、って思ってるわよ」
「は、まさか」
 鼻で笑いながら、バー・フードの包みに手を伸ばすベジータ。
「言っておくけど、あの人たちはアンタの言う『下等な生物』なんかじゃないわ、あたしの理解が及ばないほど、複雑な作りをしてるわよ」
「ほう?」
 興味あるのか無いのか、目線は茶色いバー・フードに向けたまま、相づちとも何とも取れない声を漏らす。
「少なくとも、単細胞生物じゃないわ。あの人たちが皆、最長老さま‥‥ムーリさんの前の、ね‥‥から生まれたっていうのに、みんな姿形はバラバラよ。それに素質も違う。戦う力に特化した人や、治癒の力を持っているのや」
 やや興奮気味にブルマは、身を乗り出してきた。
「それに、生命活動を終えた個体は若い個体に吸収させて、記憶を受け継がせるのよ。見たでしょう、アンタも。最長老さまとムーリさんが融合したのを。そしてムーリさんは、最長老さまになった。能力も受け継いで、ドラゴンボールは存続出来た」
「その理屈で言うなら、最長老から生まれた個体は皆、同じ記憶と能力を持っていないとおかしいだろう。あのデカいナメック星人がいなくとも、他の誰でもドラゴンボールを維持できたはずだ」
「ああ、そうね‥‥。でもあの人たちが親の性質を次世代に完璧にコピーさせることは確実なのよ。それとも、コピーさせてない子供を作る選択ができるのかしら? それが、外見の差に出るのかも」
「わざと出来損ないを作るのか? バカバカしい」
「出来損ないじゃないわよ、多様性よ。ナメック星はかつて、異常気象で絶滅しかかったわ。あの星は太陽が3つある、きっとまた同じような異常気象は起こるわ。それに備えてるのかも」
「意志で遺伝子を作り替えるとでも? そんなことが出来るわけないだろう」
「それが出来るかもしれないから、究極に進化した種族だって思うのよ!」
 そう、ブルマとベジータが議論を交わしているところへ、ブリーフが顔を覗かせた。
「おーい、ベジータ君。怪我はなかったかね」
 ブリーフがそう言ったので、ブルマはようやっと思い出した。
「‥‥そうだったわ。あんた、大丈夫?」

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