日常話(1) その3
 寝間着用にとベジータが渡された服はやけに重く厚ぼったく、暖かくはあるが動きにくいものだった。
 翌朝に用意されていた服も、伸縮性はなく妙な金具が顎に触る、奇妙な服だった。
「ジャージしかなくてごめんねー。また適当に用意しておくわ」
 ブルマのその言い方から、これが簡素な部類の衣服だと推測出来た。それならば、穴が空いていても戦闘服の方がマシだと思ったが、サイヤ人のテクノロジーを欲する彼女に早々に回収されてしまっていた。
「穴を塞ぐにも、同じ素材が無いとダメでしょ?」
 というのが彼女の言い分だったが、それは口実で、素材を解析したくてたまらないというのは目に見えた。これまで何度も目にした、貪欲な科学者の表情だった。
 バスルームにあった大量のボトルは、なんだかんだで結局2本ぐらいで用足りるものだったらしい。代わりに洗面所にこれまた顔を洗う用、歯を洗う用、と細かく分類がなされた薬剤が用意されていて、やはりベジータはうんざりした。

「おはよう、ベジータちゃん。夕べはよく眠れまして?」
 朝食の用意がされたのは、昨日の大人数が集まる中央ホールではなく、家族が使っているダイニングだ。悟飯はゆうべのうちに迎えが来て家に帰ってしまった。ナメック星人たちは自由に動いて貰うことにしている。水以外の食事の必要がなく、そもそも揃って決まった生活をする習慣がない彼らには、その方が良いとのことになったのだ。
 そういうわけでベジータだけが、家族の食卓の新しい一員となった。
 ベジータはよく眠れたかというと、完全にイエスではない。地球は、1日の長さは惑星フリーザとほぼ同じ。おかげで大きな時差を感じることもなく、それによる体調不良はおこらなかったが、やけに軽い重力のせいで、体がふわふわする不快感がずっと残っているのだ。
 それにソファは柔らかすぎた。
 これも、(習慣になってしまった)初めての場所に対する警戒のため、ベッドに横になることを拒んだためだ。いつでも動けるよう、座って、熟睡しないようにする。備え付けのソファに腰をかけたが、頼りない柔らかさで落ち着かなかった。
 ダイニングに据え付けられている機械の数々は忙しなく動き、様々な食料らしきものが産み出されていく。フリーザの元にいた頃の、提供機からスピーディに取り出せる、トレイに仕切られた機能的な食事とは正反対の、非効率的なものにベジータは感じられた。
「これがウチの、定番の朝ごはんね。ベジータちゃんは何を召し上がる?」
 夫人はベジータをキッチンカウンターの中に招き入れ、メニューの説明を始めた。
「メインは、パンね。それから、生野菜のサラダ。ドレッシングとマヨネーズ、どちらがお好みかしら。卵は固め? 半熟? コーヒーはお飲みになる?」 
 勧められるまま皿の上に乗せると、トレイから溢れそうになる。それらを慎重に運び、ベジータも用意された席に着いた。博士は既に食事を始めており、彼の足下にいる黒い猫も皿を舐めていた。
 昨日の食事会とは違う、華やかさに欠ける盛りつけだ。これが日常の食事なのだろう。改めてベジータは、地球式の朝食にとりかかる。パンと呼ばれたものはスカスカして食べた気がしないが、味は悪くない。コーヒーという汁は苦くて思わず顔をしかめてしまった。
「ブルマは遅いね」
「お疲れなんでしょう。ゆっくり寝かせてあげましょう」
「そうか。ベジータ君は大丈夫かね?」
「ああ」
 それはよかった、とブリーフは微笑み、続けて尋ねる。
「ところでベジータ君。今日、これからの予定はなにかあるのかね?」
 いや、と答えると、食事の後で研究所に来て欲しいという。
 宇宙船の機能について、いくつか聞きたいことがあるのだ。
 ベジータに断る理由は無かった。この男が本当に宇宙船を直せるのか、それもこの目で確かめたかったのもある。
 食事を終え、案内されるまま同じ敷地内にあるブリーフの研究所へ向かう。
 ブリーフが四角い機械を前にして座り、キーの並んだパネルをいくつか操作すると、ベジータの前に見覚えのあるものが立体映像として映し出された。
 それは間違いなく、かつて自分も乗っていたアタックボールの映像だった。‥‥知っているのより、旧式ではあるけれども。

 ブルマが起きてきたのは、昼近くになってからだった。シャワーを浴びてスッキリしたが、まだけだるそうに欠伸をしている。
 けれど、こんなにのんびり朝寝が出来たのは、つまり、今まで何のトラブルも起こっていないということだった。
(まさか、ベジータはどっかへ行っちゃったとか?)
 拘束するつもりは更々無いが、勝手に出て行かれるのも気分がいいものではない。果たしてどうなっているのかと、少々不安になりながらもダイニングへ向かう。
「おはよー」
「もうお昼ですよ」
 母親の指摘に舌を出す。そして母親がそれ以上何も言わないところをみると、やはり何も事件は起きていないようだ。
「ベジータくんは? 朝ごはん、食べたの?」
「ええ。食べてすぐ、パパの研究所に行ってますわ」
 そういえば戻ってないわね、お話が盛り上がっているのかしら、と母親は楽しそうに言った。
(あー。孫くんの子供の時の宇宙船があるって言ってたっけ‥‥)
 と、そこまで思い出してブルマは立ち上がった。
 そう、自分はまだ、その宇宙船を見ていないではないか!!
 急ぎ、父親の研究室に走る。
「2人だけで盛り上がってアタシは仲間はずれなんて、ずるい〜〜!!」

 ブリーフ・ラボは普段から、資料や実験品や何やらで、ものが溢れかえっている。  
 ブルマがドアを開けたとき、いつも以上の散らかりざまに、我が父親ながらあきれかえった。
「父さん、なによこれ?」
「おお、ブルマ。おはよう」
「おはよう‥‥って、これが例の宇宙船なのね」
 立体映像で映し出された、あのサイヤ人の丸い宇宙船。その周囲に更に浮かび上がる、走り書きメモ(これも立体映像で空間に書かれている)、あちこちに広げられた分解された機構。それらの真ん中に、ブリーフとベジータが座っていた。
「おはよう、ベジータくん」
 返事はなく、視線は目の前の映像のほうに向いたままだ。早速覚えたらしい操作キーを器用に操って、別の映像を呼び出したりしている。ブルマが「返事ぐらいしなさいよ」と文句を言ってみるも、それに対する答えもない。かわいくないわね、と、特に声の大きさを変えることなく吐き出した。
 くだらない言い争いをしているヒマなどないのだ、ブルマの興味は再び、宇宙船の方に戻った。
「これって、実寸? ずいぶん小さいのね」
「おまえは、ナメック星で悟空君の乗ってきた宇宙船を見たかい?」
「それが見てないのよ。いったい、どんなのを作ったの?」
「そりゃ残念だったな。ほれ、これじゃ」
 別のディスプレイに浮かび上がったのは、ブリーフが改良したタイプ。ナメック星までを6日で辿り着かせたという、アレだ。
「え、ちょっと、なにこのサイズ? コレがコレになっちゃったの?」
「機体の素材は地球のものの流用が効いたんでな。けど、機体と動力だけじゃよ。中の機構のいろいろは、サッパリでなあ」
 と、ブリーフは映像を切り替え、内部構造の映像を呼び出した。
「ほれ、ココもココも、何のための機構なのやら。それを今、ベジータ君に教わってるんじゃよ」
 見ればメモ欄に、地球語ではない文字が並んでいる。ベジータが次々と書き記しているものだ。どこかで見覚えが‥‥と考えて、それがスカウターと呼ばれる機械に表示されていた文字だと思い至った。
「これがサイヤ人の文字なの? 何て読むの?」
「『発進』『ボタン』『押す』『開く』『燃料タンク』」
 さして面白く無さそうに、並ぶ文字を淡々と読み上げるベジータ。
「ふーん、操作パネルの数って、少ないのねー。機能も少ないってこと?」
 ブルマは父親のデータファイルを刳り、遅ればせながらサイヤ式宇宙船の詳細に目を通していた。
 機構の展開図、表示文字と地球語の対比表、星図らしきもの、等々、ラボの今の状況と同じように、とにかく片っ端から広げられては並べられている。それらのファイルを流し読みするかのような速度でブルマは刳っていく。それは端から見るととてもまともに読んでいる姿には見えないのだが。
 ブルマは決して無造作に眺めていたわけではない、その速度で、ファイルを次々と頭に叩き込んでいる。彼女にはそれが可能なのだ。
「これは時計ね? あら、十進法なんだ、へー。あれ? てことは、こっちの数字がカレンダーで‥‥あらやだ、サイヤ人の暦じゃ、1年が300日も無いの?」
 そういえば悟空の兄が、仲間が1年後に来ると言い遺したのに、それよりも来るのが早かったという‥‥あれは、彼らの『1年』の感覚の違いだったのか。
「夕べさ、あんた、自分を40歳って言ってたわよね? あれって、このサイヤ人の暦でのこと?」
「『リフリジ暦』だ」
 訂正するベジータ。
「リフリジ暦っていうのね? それで40年とすると‥‥、あら、地球で直すと30歳ちょっと。‥‥それにしたって、見えないわ、そんな歳には」
 ぶつぶつ言いながら、なおも刳る手を休めないブルマ。が、その彼女の手が、一つの画像のところで止まった。
「ね、ココ。これは何て書いてるの?」   
 強引にベジータの前にファイルをつきだす。作業を邪魔されたベジータの眉間に皺が寄るが、彼もちらりと見えたその画像に興味を持ったらしく、受け取った。
「文字が違うわね。サイヤ人って複数の文字があるの?」

 ほう、とベジータは感心した。
 ブリーフからは尋ねられなかったことだ。ベジータが書き込んでいる文字と、ブルマが差し出した画像にある文字。
 ベジータが綴っているのは、フリーザ軍で使用されていたもの‥‥あらゆる星系から集まった異言語の兵士達が用いていた標準語だ。
 そして画像にあったのは、サイヤ王室を離れてから全く触れなかったもの‥‥サイヤ語だった。
(こんな少ないサンプルで、判別が付くとはな)
 やはり馬鹿じゃなかったようだ、とベジータは見直した。そんな彼の心情なぞおかまいなしに、ブルマは尋ねる。
「これは何て書いてあるの?」
「『生きろ』」

「え‥‥?」
 一瞬、ベジータが言ったことを理解出来なかったブルマは、聞き返す。
「『生きろ』『カカロット』だとよ」
 しん、と沈黙がおりた。
 そして気が付くと、ブルマの頬に涙が伝っていた。
「‥‥‥‥あは、やだ、あたしったら‥‥」
「どうしたんじゃね、ブルマ?」
「いや〜。だってさ、これ、孫くんが赤ちゃんの時に乗せられた宇宙船じゃない? そこにこんなメッセージが書かれてたなんて、ね‥‥」

(手書きの文字か)
 その言葉を見て、ベジータは思い至って他のファイルを刳り直した。
 カカロットも、他のサイヤ人の子供同様、地球という異星の制圧のために送られていたと聞いた。だが、その指令書がどこにもない。
 考えてみれば、こんな辺境の惑星‥‥周囲に売買相手の有人星もない、ここをフリーザが欲していたとは思えない。
 加えて、サイヤ人とよく似た人種の地球人、大気の構成、‥‥『なぜ』がつきまとう。なぜ、カカロットはここに送られたのか?
(チッ‥‥俺には関係のないことか‥‥)
 ファイルを閉じ、元の作業に戻ろうと顔を上げたベジータの前に、ブルマの顔が鼻も当たりそうな距離にあった。
「うわっ」
 思わずのけぞる。ブルマの目からは、さっきの涙がまだ続いていた。
「あんたも、絶対帰してあげるからね!!」
「は?」
「あんたも、生きて仲間達のところへ帰るのよ! 絶対よ、絶対なんだからね!!」
 涙の理由はよく分からないが、女も彼の宇宙船建造に乗り気になったようだ。乱暴に自分の目を擦る女に背を向けて、ようやっとベジータは元の作業に戻れた。

 昼食の時間になって。
 今度は4人が揃ってテーブルについた。
「どう、お仕事は順調なの?」
「ああ、ベジータ君のおかげだよ」
 夫人が尋ね、博士は上機嫌で応える。午前中の作業だけで、かなり順調に進んだようだ。
「宇宙船の解析はいいとしてさ、あんた、帰る星ってどこなの? 遠い?」
 ブルマは先ほど目にした星図を思い出していた。あそこに載っている、どこかの星なのだろうか。
「帰る星など、無い」
「無い、って‥‥」
 言いかけてブルマはハッとした。
 そうだ、サイヤ人の生まれた惑星ベジータは消滅したと聞いた。ならば彼がそれ以降に暮らしていた星も、今の地球と同様、仮住まいでしかなかったのだろう。
「‥‥無い、ったって、でも、待ってる人もいるでしょうし‥‥」
「いない」
 聞いてはいけないことを聞いた気がする、そう感じてブルマはうなだれた。
「とりあえずは、79に戻る」
 惑星フリーザNo.79。
 地球からいちばん近い、フリーザ軍の拠点だ。あそこからならまたどこへでも、ルートを選ぶことが出来るし、必要な物資も手に入る。フリーザと軍の上層部がいなくなってどうなっているか分からないが、少なくとも自分の命を脅かす存在はまずいない。それが、ベジータの考えだ。
「行くところがなかったら、ずっとここにいたらいいのよ」
 と、そう言ったのは夫人だった。
「地球で暮らして、ここでお嫁さんを見つけるなんてどう? 遠い異星の王子様が、地球でお姫様と出会うなんて、ロマンチックじゃない〜?」
 突拍子もないことを言われ、ベジータは食べていたものを変に飲み込んだらしく、慌てて水のグラスに手を伸ばした。そんなベジータの反応をも、面白そうに眺める夫人。
(こんなぬるい星に居着いてたまるか)
 夫人の冗談に返事はせず、皿の最後の一口を片付けてベジータは席を立った。
「え、もう終わり?」
 サイヤ人の食欲を知っているブルマは驚いた声を上げた。まだテーブルの上には大量に料理が残っている。
「具合がお悪いの? ‥‥あら、そういえばなんだか顔色が悪くありません? むくんでいるというか‥‥」
 指摘されたとおり、ベジータは体調が思わしくなかった。原因も分かっている。
「‥‥低重力症だ、じき治る」

 地球の重力は低すぎる。これまで暮らしてきた星と比べると、10分の1ほどではないだろうか。ドラゴンボールの力で突然地球に降りたベジータは、つまり何らそれに対する下準備をしないまま過ごすことを強いられたことになり、その状態で1日近く過ごしているのだ。体液の循環が芳しくなく、それがむくみとなって現れる。体が環境に慣れれば、おさまるはずだ。
「おお、重力が低いのか、それはよくないね」
 と、ブリーフが言った。
「どうだい、宇宙飛行士のためのトレーニングルームがあるから、そこを使ってみるかい?」
 悪くない申し出だった。低重力下では筋力も衰えてくる。戦闘民族として、体は常に動かしておきたい。
「あー、だったらナメック星人さんたちも、なにか不調があるかもね」
 ブルマがナメック星で過ごしたとき、体調に変化はなかった。大気の構成も、重力も、地球と似ているのだろう。似ているからこそ、ピッコロの親はこの星を選んで我が子を送り込んだに違いない。けれども、ベジータほどではないにせよ、何らかの不都合が生じていてもおかしくない。
「あたし、午後からはナメック星人さんたちのところ、行ってるわ」
 食事を終えたそれぞれが席を立ち、それぞれの予定に向かっていった。

 ナメック星人たちはほぼ全員が、この屋敷の博物館のような中庭に集まって楽しそうに過ごしていた。初めて経験する夜と夜明け、星と太陽が交互に入れ替わる空、何より珍しい生物群のどれもが面白く、退屈や不安などすっかり忘れてしまっている。
 ある荷物を載せた台車を押しながら、ブルマは皆の輪の中に入る。
「こんにちはー。どう、快適に過ごせてるかしら?」
 誰もが「もちろん」と明るい声で返してくる。変調はなさそうだ、やはり地球の環境は適正なのだろう。芝生の上で子犬のように駆け回っている兄弟を見つけて、ブルマは声をかけた。
「はーい、デンデくん、カルゴくん」
「あ、ブルマさん、こんにちは」 
「どう、なにか困ってることはない?」
 大丈夫です、と元気に応えたデンデだったが、カルゴは一瞬、顔を曇らせた。
「なにかあるの?」
「‥‥あのね、おなか、すいた」
「カルゴ、お行儀が悪いぞ」
 はしたないことを言う弟をたしなめるデンデ。けれどブルマは驚かなかった。

「ね、ピッコロはまだいる?」
「ピッコロさんですか。いますよ」
 デンデが大声で呼びながら手を振ると、目的の人物はこちらの姿を認め、近付いてきた。
「何か用か?」
「聞きたいことがあるのよ。あんた、地球で暮らしている間、水しか口にいれてないの?」
「そうだ」
「石とか貝とか、囓ったりしたことない?」
 ブルマに尋ねられて、ピッコロはハッとした。確かに、心当たりがある。
「やっぱりね」
 言いながらブルマは、台車の荷物を開けた。中にはミネラルウォーターの瓶が何本か入っている。昨日の食事会では見なかったラベルの瓶だ。
「これね、北の地方の超硬水なの。あたしが飲んだらお腹壊すぐらいのね」
 説明をしつつ、瓶の蓋を開け、中身をコップに注ぐ。
「はい、ピッコロ。飲んでみて」
「俺の腹を壊させる気か」
「地球人がそうでも、ナメック星人にはそうとは限らないでしょ? デンデくん達に毒味させるわけにはいかないからね」
 それでもピッコロは、おおかたの意図は察したらしい。ブルマからコップを受け取り、ひとくち含んだ。
「‥‥‥‥うまいな」
「ああ、やっぱり、思った通りだわ」
 しばらくピッコロの様子を眺め、大丈夫そうなのを確認すると、別のコップに水を注いで兄弟に渡す。空腹を訴えていた弟は、それを一気に飲み干した。
「夕べさ、ナメック星の土壌をざっと分析してたんだけど、すんごいカルシウムの含有量が多いのよ。だから普通の水じゃ、物足りないんじゃないか、って思ってたの」
 大人達も徐々に集まってきた。やはり彼らも、完全な充足を得られていなかったらしい。
「それでさ、そのあたりの成分が添加出来る水タンクを作って設置しようかと思って。力のあるひと、3、4人ぐらい手伝ってもらえないかしら?」
「何から何まで、ありがとうございます」
 喜んで手伝います、と、3人どころではない人数が立候補した。ブルマは彼らに次々と指示を与え、水タンクはあっという間に完成した。

「ところで、ベジータはどうしてる?」
 やはり気になるのか、ピッコロはブルマに尋ねてきた。
「んー? 大人しいもんよー。て言うか、父さんが気に入っちゃって、べったりなのよ。今も連れ出してるわ」
「大丈夫なのか?」
「なにが?」
「おまえの父親が、だ」
「あら、心配してくれてるの? 大魔王なのに優しいのね」
 ブルマの言葉に、ピッコロはばつが悪くなり顔を背ける。確かに自分の前世は、地球に恐怖をもたらした魔族の長だ。しかし同時に、天才武道家でもあった。孫悟空という己より強い者と出会い、更に続いて現れたサイヤ人、フリーザ‥‥。次々と巻き起こる戦いに何度も膝を付き、武道家としての本能が蘇ってきた。力を極めたい、いつの頃からか、そちらをより強く願うようになった。悪と破壊に満ちた混沌の世界、そんなものへの興味はとうに失っていた。
「ま、ゆうべ自分で言った約束を自分から破ったりはしないでしょ。けど、もしアイツが暴れるようなことがあったら、その時はヨロシクね」
 言いながらブルマは、ふふ、と笑った。
「なんだ?」
「情けない話よね。地球が侵略の危機になったときに、頼りにするのがナメック星人だ、なんてね」
「悟飯がいるだろう」
「‥‥そうね、あのこは、地球人ね」
 ふと、不安がよぎる。
 ブルマは、悟空のことを考えた。

 その頃ベジータは、ブリーフと共に、彼専用の小型飛行機に乗り込もうとしていた。
「ベジータ君、キミはブロンドとブルネット、どっちが好みだね?」
「はあ?」
 質問の意図が分からず、聞き返す。
「ラミちゃんとロミちゃんの、どっちを貼ろうか?」
 と、ブリーフが広げて見せたのは、昨日ブルマが破り捨てたはずのポスターだった‥‥昨日の物と構図は違うが、やはり肌を大きく露出させた女どもの。
「助手席側がロミちゃんでいいかな? わしは断然、ラミちゃん派でなあ」
 鼻歌交じりにポスターを貼り直すブリーフ。固まっているベジータなど、おかまいなしに。
「な‥‥なんでわざわざ、こんなのを貼る!?」
 ようやっと口を開けることが出来たベジータは、不可解なブリーフの行動に何とか抗議した。
「安全運転のお守りじゃよ。‥‥うんうん、よし、やっぱり機内は快適空間じゃないとなあ」
 それが地球の慣習ならばと、ベジータはそれ以上何も言えなくなった。彼ができるささやかな抵抗は、厚ぼったい唇に真っ赤な口紅を塗ったブルネットの女が、ウインクしながら腕組みで自分の胸を押し上げている画像がなるべく視界に入らないようにすることだけだった。
 エアポートからスカイカーが上昇し、西の都の上空をゆっくりと滑り始めた。
 ベジータは改めて高い位置から、自分がいままでいた建物を観察する。
 ごみごみした街中において、格段の広さを持っている。町中に張り巡らされた通路でせかせかと人や車が動き回り、小さな建物が密集してそこからやかましい音や声が聞こえる。けれど振り返って見るあの一画だけ、そんな喧噪からまったく切り離されて、そこだけ別世界のようだ。
(かなりの資産家、か)
 隣のシートで操縦桿を握る男のその外見からは、およそそうは思えない。
 今乗っているこの飛行機も、かなり使い古された、こじんまりとしたものだ。計器が所狭しと並び、それを見ながらこまかく手動で操縦をしなければならない、面倒な作りになっているようだ。男自身も、清潔そうではあるが高級とは思えない着衣に、羽織っている白衣はそうとうくたびれたものだ。
 博士は鼻歌まじりにのんびりと操縦し、15分ほども飛ぶと眼下の景色は、都市の建物はまばらになり、茶色く乾いた地帯になった。
 平らな、何もない地帯にまた新たに建造物があった。周辺に何もなく、ただぽつりとそこに。しかし広大な敷地を持って。
 ベジータが覚えたばかりの地球語の理解が間違っていなければ、そこの看板の文字は『宇宙開発センター』と読めた。カプセルコーポレーションのマークとともに。

 スカイカーが着陸し、「よっこらせ」とブリーフはゆるゆると降りる。降りたところには、数人の人間が待ち構えていた。
「おつかれさまです、社長!」
 その数人が一斉に、ブリーフに向かって頭を下げた。
 彼らは光沢のあるパリッとした生地の衣類を身に着けており、格式ばった衣装のようである。そんな彼らが、男も女も年齢も関係なく、よれよれの白衣の男に対して頭を下げている。
 そして白衣の男は、それらに鷹揚と挨拶を返しながら悠々と通路を進む。
 後ろをついていきながらベジータは何度も、すれ違う人間が皆、博士に頭を下げているのを目の当たりにすることになった。
 ブリーフは、頑強そうなドアの前で止まった。脇に立つ、ガードマンの男に何やら言っている。
「後ろの彼ね、うちのゲストでね、ここの使用許可を‥‥」
 ガードマンは素早い動作でなにやら書き記し、機械を操作した。
「おーい、ベジータ君」
 呼ばれて近づくと、先ほどの機械を渡され、それに掌を乗せろと言う。言われるままにすると、ピッと音がして頑強なドアに青いランプが点き、カーテンでも引くかのようにシュッと開いた。
「これで、これからずっとここは自由に出入りできるからね、好きに使っておくれ」

 備え付けてあったトレーニングマシンは、地球人の体力に合わせて作られてあって頼りないものであったが、それでも、負荷をかけつつ筋肉を動かせる作りになっていて、少なくともじっとしているよりはマシだった。軽く汗が流れるほどに動いたところで(この時点で常人のものではない運動量にセンターの社員たちが驚愕していたのには気づかずに)、ブリーフから声をかけられた。
「ちょっとこっちの実験に付き合ってもらえんかね?」
 施設を借りた礼ぐらいしてもよいかと、ベジータは拒まなかった。促されて入った実験室は、だだっ広い空間で、先ほどと同じようなトレーニングマシンが真ん中に置かれていた。
 ブリーフと社員たちは外に出て、ベジータをひとり実験室に残し、ドアにロックをかけた。
『室内の重力をあげるからね、その状況でそこの器械を使ってくれるかい?』
 スピーカーからブリーフの声が聞こえる。
『いくよー』

 重力をあげる?

 どういう意味かと尋ねようとしたが、それよりも先に体に違和感を感じた。
 じわり、と手足が重くなる。
『いまが、2G。どうだね、動けるかい?』

 重力を操作している?

『3Gにしてみるよ』

 そうだ、この感じだ。
 空気すらも重さをもち、腕に足にからみついてくる。シュッと拳を突き出したときに抵抗がある。今までのような、霧の中を漂っているような頼りない感覚ではない、ハッキリと、自分の体が熱を持って動いている。
 指の先まで、重い。先ほどのちゃちなトレーニングマシンとは比べものにならない負荷。腕を曲げると、筋肉に力が入っているのが分かる。
 そうだ、この感じだ。

『3Gも大丈夫なのかい? じゃあ、4Gに‥‥』
『社長、そんなことをなさっては!!』
『あの彼に耐重措置は?』
 スピーカーから、複数の声が聞こえる。口論がなされているのだろう。察するに、ベジータはおよそまともな実験ではないものに放り込まれているのだ。ブリーフの手によって。

(したたかな男だ)
 ベジータはいい気分だった。
 唐突に現れた異星人である自分を、あの一家は何の抵抗もなく受け入れた。
 うすら寒い博愛か、傲慢な慈善かと思っていたが、違う。
 彼らは己の欲のために、自分を受け入れたのだ。
 なんと清々しい動機だろうか。
 振り返れば、あの娘もそうだ。昨日からずっとあの女は、自分という異星人に対して、ただただ己の興味をぶつけてくる。ナメック星人にしても同じ事なのだろう。そしてこの博士も、こうも堂々と、自覚があるのかないのか、この俺を利用している。
 ならば、こちらも遠慮することはない。
 とことんまで、利用してやろう。 
 おまえらの求める地球外の知識を提供し、この俺のために尽くさせてやる。

 10Gの実験室は、快適だった。


 
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