懐妊話(1) その2
 あの女が俺の子を身籠もった。

 考えてみれば当たり前だ、そういう関係だったのだから。
 
 『そういう関係』――どういう関係だ?
 ただ互いに欲求を満たすためだけの、それだけだ。
 それでも結果として、子が出来た。
 経過がどうあれ、俺の子だ。
 ――サイヤ王室の血を引く、最後の。

 今日の重力室はやけに重苦しい。いつもの負荷と同じはずなのに。

 夫人から、今日がブルマの退院だと聞かされた。
 あれから夫妻の態度は変わらない。
 3年近く顔をつきあわせているが、いまだに彼らの考えていることは分からない。2人揃って飄々として何も考えていないようで、その実、何もかも見透かされている気がしてならない。
 きっと夫妻は、俺が腹の子をどう扱うか、探っているのだろう。
 もし俺が、ただあの女を弄んだだけだとなれば、大事な娘を手込めにされたことを怒った彼らが俺に復讐を始めるかもしれない。
 この重力室はもう使えないか。
 食事に毒を盛られるかもな
 ああ、だったら正式に妻にすれば納得するか? どうせあと1年半後には、人造人間も地球人共も地球もろとも吹っ飛ばしてオサラバするつもりなんだ。脱出するための宇宙船はとっくに完成している。たった1年半、その程度の嘘ぐらいつける。仮面をかぶるのは慣れているんだ。

 もうすぐブルマが帰ってくる。
 今日の重力室はやけに重い。
 はかどらないトレーニングに苛つき、いつもより早く切り上げて、休憩室のソファにへたりこんだ。

 手に持ったままの水のボトルは、とうにぬるくなった。
 休憩室に近付いてくる足音がある。
 それはドアの前で止まり、動かなくなった。
 誰かは分かっている。手にしたボトルを意味もなく弄ぶ。
 だいぶ時間が経ってから、ようやくドアのノックがなされた。
「ベジータ〜。いる〜?」
 不自然にカン高い声で呼びながら、ブルマがドアを開けた。

「ただいまー。帰ってきたわよー。もー、開発したばっかりの修復薬、自分が実験台になっちゃったわー」
 聞かれてもないことをべらべら喋りながら、ブルマはずかずかと部屋に入ってきた。
 ブルマの右頬にはまだ絆創膏が貼られており、右腕も固定されている。体調は回復したようで、声の張りはいつものとおりだった。
「修復薬、コレね。ほら、メディカルマシーンの治療薬、アレをジェル状にして湿布にしたのよ。けっこうイイ効果よー」「重力室の調子はどうー? あたしがいない間、壊してないでしょうね」「ああ、そうそう。頼まれてた戦闘服ね。アレも明後日には納品されるから‥‥」
 絶え間なく喋り続けるその間、ブルマはベジータの顔を一度も見なかった。
 ベジータには、彼女がここに来た目的はだいたい分かっている。決して、己の研究成果の確認をしたいわけではない。

「何の用だ」
 ベジータはブルマのくだらないお喋りを遮った。
 用件は分かっている、さっさと済ませてくれ。
 女が止まる。
 後ろを向いているので、表情は分からない。
 また、長い沈黙。
 それでもようやっと、ブルマが口を開いた。後ろを向いたままで。
「あ、あのね‥‥、あたし、子供ができた‥‥の」
 語尾が掠れる。
「べ、別に、アンタをどうこう責めるつもりはないわよ。イイ大人が合意の上で、だもん。‥‥まあ、失念してたのはあるけどさ‥‥」
 
 後ろを向いたままなのは好都合だ、こちらの顔も見られなくて済む。
 さあ、言え。「おまえを我が妻に迎える」と。
 ――たったそれだけの言葉だ。
 声が出ない。喉が渇く。

 告白を始めたブルマは吹っ切れたようで、流暢に言葉を紡ぎ始めた。
「アタシは、産もうかな、って思ってる。ウチはお金に余裕あるしさ。父さんも母さんも、外聞は気にしない人たちだし。アタシぐらいの美貌なら、子持ちでもプロポーズしてくる男はいるだろうし」
 最後は冗談めかして、やけに明るくバカでかい声で。ひきつった笑顔でブルマがこちらに振り返った。
 ベジータはそこで、ブルマと目が会った。会わせてしまった。

「――俺には、必要ない」
 何を口走ってるんだ? 
 違うだろう、言うべき言葉は、それじゃない。
 びくり、とブルマの体が硬直する。辛うじて作られていた笑顔が、みるみる崩壊するのが分かった。

 何をアタシは憂えているの?
 予想していた回答の範疇じゃないの。
 この男が、恋人でも何でもない、嘘でも愛の言葉ひとつ囁いたことのないこの男が、子供が出来たことを喜ぶわけがない。
 これまで何度も、命を消してきた過去のある男だ。目に見えぬ萌芽ひとつ潰すことに、罪悪感を抱くはずはない。最初から分かっていた事じゃないの。
 耐えろ。
 泣くな、アタシ。みっともないわ。
 
「俺は、王家の復興なぞ、考えてない」  
 
 けれどもベジータが続けた発した言葉に、ブルマの涙は引っ込んだ。

「惑星ベジータも消滅し、サイヤ人も残るは俺とカカロットだが‥‥。あのヤロウと共存するつもりはない。サイヤ人は、俺で終わりだ」

 自分にサイヤ王家の肩書きは必要ない。
 『必要ない』って、そういう意味ね、ベジータ。

「嘘つき」
 まっすぐベジータの目を見据えて、ブルマは言った。
「嘘だと? 何でこの俺が嘘を‥‥」
 つけるはずがない。
 この目に、見据えられて。
 女と、その家族を騙す簡単な嘘さえ、つけなかった。
「アンタがいちばん、誰よりもサイヤ人であることに拘ってるんじゃない」

 ねえ、スーパーサイヤ人。
 あんたが目指しているのは、それでしょう?
 『サイヤ人』の間で語り継がれた伝説を追いかけて。
 『サイヤ人』として、最強であろうとして。
 『サイヤ人』が、全宇宙の頂点に立つことを目指している。
 それが、『サイヤ人』の王子であるアンタの、望みなんでしょう?

「ベジータ王子!!」
 ブルマが一喝した。
 さっきまで不安そうに震えていた女が急に声をあげたので、ベジータはぎょっとして思わず背筋を伸ばした。
「いいこと、国家っていうのはね、血族で成るものじゃないわ。人が集まって、王を戴いて、その下に民が集まれば出来るのよ。あんたが本物の王子なら、望むと望まざるとに関わらず、王家は再興されちゃうわよ。だから、いいこと? 王家の話と、この子のこととは別問題よ」
 言いながらブルマは、自分の腹を撫でた。
「あんた、この子が自分の子だって、自覚ある?」
「あ‥‥ああ」
 ブルマの剣幕に気圧されたまま、ベジータは頷く。
「だったら産むわよ。あんたの子なら、この子はサイヤ人なんだから。この子がいる限り、あんたはサイヤ人だって証明されるのよ」
 この宇宙に、地球外生命がいて、その一人が『ベジータ』というサイヤ人の生き残りで、戦闘マニアの変態で、スーパーサイヤ人なんて伝説に取り憑かれた男だったんだと、このあたしが語り継いでやろうじゃないか。
 これはきっと、科学者の血だ。
 ブルマはそう分析した。これはそう、単なる科学者としての好奇心なのだ。

「‥‥俺には、必要ない!」
「あんたが要らなくても、あたしは欲しいわ!」
「おまえは、自分が何を言ってるのか分かってるのか!?」
 ベジータが立ち上がる。足下を、水のボトルが転がってそこらを濡らした。
 この女は、俺が体を許したから、心まで許したと勘違いしていないか?
 俺はおまえらにとって宇宙人で、侵略者だ。
 人造人間との戦いが終わり、カカロットとの決着を付ければ、俺は地球をぶち壊して立ち去るつもりだ。
 知っているだろう。それとも、忘れてしまったのか?
 思い出せ、バカ女。
 腹の子は、おまえにとって忌まわしき子だ!
 おまえが俺に何かを求めているとしたら、それは大きな勘違いだ。

「俺は‥‥この星の住民じゃない」
「知ってるわ」
「俺は、人造人間との戦いが終わったら、ここを出ていく」
「そうね」
「だったら、何で!?」
「いいじゃないの、産みたいと思ったんだから、産んだって」
「俺は、何も出来んぞ!!! 貴様の望むようなことなど、何一つ、な!!」

 ――この瞬間。

 あたしは。

 恋に落ちた。

「‥‥お、おい‥‥」
 思わずあたしは、ベジータに飛びかかって、その首に左腕を回して抱きついていた。この右腕がもうちょっと動けば、もっとぎゅっと抱きしめられるのに。
「おい、ブルマ?」
 あたしを抱き慣れているはずのベジータの腕は、行き場を失って頼りなげにあたしの腰のあたりをうろうろしている。
 このあたしが抱きついているんだから、抱きしめ返せばいいものを。
 唐突な行動で、ベジータが明らかに動揺しているのが分かって、それがおかしかった。

 ベジータ、あんた気付いてる?
 あんたは今、自分の無力を口にしたのよ。
 くだらない、些細なことでしょうけど。
 けど、あんたが自分で自分の無力を認めて、それを口にしたのよ。

 この自尊心の塊の男が、負けず嫌いの男が、自分を「何も出来ない」と表した。
 きっと今まで、この瞬間まで、彼は彼の頭の中で、ぐるぐる、ぐるぐる、このことについて――あたしと、あたしとの間に出来たこどものことについて、真剣に考えていたのだろう。
 ああ、この男は、こんなに誠実で、優しい男だったのか。

 ベジータが好きだ。
 サイヤ人だからとか、最後の王族だとか、科学者の好奇心だとか。
 そんなのは全部、後付の理由だった。
 気付いてしまった。
 あたしは、ベジータが、好きだ。

「――アンタに、なーんも期待してるワケ、ないじゃない。産院の場所だって知らないでしょう?」
 肩に顔をうずめたまま、ブルマはくすくすと笑いながら、けれど鼻をすすりながら掠れた声で、言った。
 ベジータの言った意味をわざと取り違えて。ベジータすら自覚していない感情に、やっぱり分かってないふりをして。
「何にもしなくっていいわよ。あんたこそ、子供のことが気になって、人造人間と戦えないなーんてことになるんじゃないわよ。そんなことになったら、軽蔑するから」
「フン、ガキの生き死になど、俺には関係ない」
 行き場を無くしていたベジータの腕は、ようやくブルマの背中に居場所をみつけた。
「関係ない、――俺は、戦うだけだ」
 ベジータはもう一度、自分に言い聞かすように、呟いた。 

 ねえヤムチャ、あんたの言ったこと、正しかったわ。
 あたしね、好きな人が出来たの。
 しかも、その男の子供を産むのよ。
 最高の気分だわ。 


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