懐妊話(ボツにした方)
 なぜ女を抱いているか。
 昂ぶった神経をなだめるために、目下、最も手っ取り早い手段だからだ。
 スーパーサイヤ人にはなれた。次は、この状態を己の意志で自在にコントロールできなければならない。一度「なって」しまえば、その「なり方」は分かる。心を凪いだ水面のように静かにし、その一点に深く、深く、ごく細い核のようなものが潜んでいるのを探り、ゆっくりと掬い取る。‥‥だが、この「潜んだもの」が浮き上がってくれば、それは瞬時に爆発する。みるみるうちに体を焦がし、猛獣のような激しい意志に押し潰されそうになる。それまでの自分とは全く違う、制御の効かないもう一人の自分。こいつを自分のモノにする。逆に意識を乗っ取られそうになるのを堪え、こいつの操り方を知り、牙を抜かずに飼い慣らす‥‥そのためには、ひたすら訓練を繰り返すことだ。
 暴れる力をぶつける相手として、女の存在は都合がよかった。 

 なぜ男に抱かれているか。
 多少なりとも傷心だったものを癒すのに手近だったからだ。
 長く付き合った恋人と別れた。惰性で関係を続けた末のなれの果て。お互いの目指す道は違っていて、ともに励まし合うことは出来ても重なることは出来なかった。そこへするりとタイミングよく入ってきたのが、この男だった。亡国の王子を名乗り、人を人とも思わない高慢ちきなこの男が縋るような目つきで求めてきて、およそ今まで見たことのないみっともない姿で浅ましく腰を振るのは、女としての自尊心をくすぐられた。時に拒むことがあれば、不安そうに眉間に皺を寄せてくる、それを見て、この男を御しているのは自分なのだと思えるのだ。
 心身共に快感を得る道具として、男の存在は都合がよかった。

 ここ数日、体調が思わしくなかった。
 熱があるわけでもないのに気怠く、食欲もない。
 ――まさか、ね。
 心当たりはもちろん、ある。けれど、すぐに結論が出るほど明確な根拠でもない。カレンダーに目をやり、もう数日様子を見てみよう、と思った。
 もし、そうだとしたら‥‥。
 まあ、産んでもいいだろう。あの両親なら、娘が火遊びで孫をこしらえたとしても受け入れてくれるに違いない。家事ロボットの中にはベビーシット機能もあるし。まあ、年齢も年齢だし、いいチャンスではないだろうか‥‥。
 そんなことを考えていた時に、ベジータが部屋に入ってきた。つい先ほどまで重力室で体力の限界まで自分を苛め抜き、汗と血にまみれて息も絶え絶えに、金色の煌めきも消えかかっているのに目だけは爛々としている。
 いつもなら、この満身創痍の男を抱きとめて、ベッドの上で眠りにつくまで寄り添ってやるのだが、今日はそんな気分になれなかった。
「今日はだめ」
 拒むことは別に初めてではない。周期によっては応えられないときもある。そういう時、ベジータは例のごとく眉をひそめ、舌打ちしながらもブルマのベッドに潜り込んでくる。何をするということもなく、「自分のベッドで寝なさいよ」というブルマのぼやきを聞きながら、そこで一眠りして明け方にはいなくなる。 
 ただ、今日のブルマにはベジータのその態度がひどく気に障った。
「なによ、なにかご不満でも?」
「何も言ってないだろう」
 ベッドに寝転がり、息を整える。
 まるで自室のような遠慮のなさに、ますますイライラさせられた。
「顔に出てんのよ。だいたいね、あんたの都合にばっかり合わせてられないのよ、こっちの体調なんてお構いなしで‥‥」
 溜まった文句をぶちまけている時に、いよいよ胸がむかむかして、本当に吐きそうになってきた。思わず口元を押さえ、バスルームに駆け込んだ。
「お、おい‥‥?」
 えずく声は部屋まで聞こえているのだろう、ベジータは気にしてはいるようだがそれ以上は動かなかった。こちらはバスルームにへたり込んで胃液の逆流に苦しんでいるのに、駆け寄って背中をさするぐらいしてもいいのではないか。それがブルマには腹が立って仕方なかった。
 平然としているこの男を、動揺させたかった。
 だから、何の確信もないのに言ってやった。

「妊娠したわ」

「ふぇ?」
 ベジータは、間抜けな声を出した。
 言葉の意味が分からなかったのか。うまく聞き取れなかったのか。ブルマはもう一度、念を押すように、力強く、ベジータを睨み付けて、言った。
「妊・娠・し・た・の・よ。あんたの子よ」
「俺、の、子‥‥?」 
 ベジータが動揺しているのは明らかだった。
 ブルマはやっと溜飲が下がった。
 そしてベジータの、次の反応を楽しみに待った。

 さあ、どうするのかしら、王子サマ。
 しっぽを巻いて逃げ出すのかしら。
 堕ろしてくれと土下座するのかしら。
 心当たりはないとシラを切るのかしら。
 それとも‥‥邪魔だから殺すのかしら。
 
 ベジータの頭の中は、なにやらぐるぐる駆けめぐっているようだった。
 長いような、短いような、よく分からない時間で思案し、そしてようやっと口を開いた。

「‥‥それを、俺に聞かせてどうする」

「はああああああ??」
 どういうつもりの発言だ? 自分は関係ないと言い張る気か? ブルマは怒りを覚えた。
「孕んだのはおまえだろう、それで俺にどうしろと?」
「相手はあんたでしょう! あんたにも発言権を与えてやってんのよ!」
「俺の意見なんてどうする、決めるのはおまえだ。それともなにか、俺が産めって言ったらおまえは俺に従って産むのか?」
「え?」

「え?」
「え?」
 互いが顔を見合わせた。
「え‥‥ちょっと待って。じゃあベジータ、あんたは産んでもいいと思ってんの?」
「って、‥‥おまえ、産む気か?」
「そうよ。なぁんだ、あんたも産んで欲しいって思ってんだ! じゃあ何の障害もないじゃない! 悩んで損しちゃった」
 ブルマは脳天気なことを言い出した。
「なによぉ、ベジータ。暗い顔しちゃって。ああ、いいのよ別に、あんたに父親らしいことなんて期待してないわ。結婚なんて形式も、とる必要ないからね」
 さきほどとはうってかわって上機嫌になったブルマが、ベジータの周りをくるくる回る。鼻歌まで聞こえてきそうなほどに。
 それと正反対に、今度はベジータは青ざめてくる。
「ねえベジータったら、どうしたのよ」
「‥‥正気になれ」
「‥‥ベジータ?」

 正気か?
 俺は、おまえを都合のいいように犯してきたんだぞ。
 その末にできた子だ。
 地球の医療レベルなら、流す技術なぞいくらでもあろうに。
 そんな子を、おまえは、産めるというのか?
「‥‥俺は、おまえらの、敵なんだぞ‥‥」

 ブルマは頭から水をぶっかけられたような気がした。
 忘れていた。
 この男は、侵略者だ。
 地球を破壊しに来て、一度は敗れたものの、その雪辱を果たす機会を狙っている。
 ただ、未来に現れる人造人間と戦うという目的のために大人しくしているが、それが終われば、この男は‥‥。

「‥‥そうだったわ、あんたは、敵なんだわ‥‥」
 この男は、侵略者だ。
 愛し合っていたわけじゃない。
 たとえ愛し合っていたとしても、惚れた女のために信念を変えるなんて、ロマンチックなことをこの男が考えるわけもない。
 どうして忘れていたんだろう。
 心地よかったのだ、この関係が。
 互いが互いに自由でいられる、この関係が。
「ふふっ。‥‥キモチイイことに目がくらんでたのね」
 乾いた笑いがこみ上げてくる。
「もう忘れないわ、あんたが敵だってこと」
「そうだな」
「ねえ、ひとつだけ教えてよ」
「‥‥なんだ」
「あんたも、キモチよかったの?」
「‥‥ああ‥‥」
 ベジータの答えを聞いて、ブルマはうつむいて自分の腹を撫でた。

「はい、じゃあ今から、あんたは敵よ! そしてこの子は人質だわ!」
「はあああああ??? 何を言い出すんだおまえは!」
「だってそうでしょう、あんたの子よ。つまりはサイヤ王室の唯一正当な後継者ってことでしょう、人質として申し分ないわ。そしてあたしが、最強の戦士に育て上げてやるのよ。どうよ、そう易々とこの地球を侵略なんてさせないわ」
 突飛なことを言い出すブルマに、ベジータの開いた口は塞がらなかった。
「きっと強靱な肉体を持って生まれてくるんでしょうね。そしてあたしの美貌も受け継いでね。そこへ我がカプセルコーポレーションの技術の粋を詰め込むわ。さあ、あんたはどこまで対抗できるかしら? おーっほっほっほ!」
「ふ‥‥ふふふ」
 ブルマの高笑いにつられて、思わずベジータも笑い出す。
「面白い。やってみせろ」
「やってやるわよ」

 サイヤ人と地球人の、新たな戦いが始まった。
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