別れる話 |
『特別』と見られることが嫌だった。 大企業のお嬢様じゃない、抜群の成績で大学を卒業した天才じゃない、人並み外れた美貌の持ち主じゃない、ただの一人の女の子として見てほしい。 何も持たない自分でも愛してくれる、そんなステキな恋人が欲しかった。 それが願いだったはず。 だけど、なんて贅沢なんだろう。なんて愚かなんだろう。 『特別』と見てもらえない、それも嫌だなんて。 * * * * * 結婚に憧れていた。 柔らかくて甘い匂いのする女の子、その存在は価値のあるものだと思っていた。 埃と砂にまみれた乾いた荒野で己の腕だけを頼りに生きてきた彼にとって、それは正反対の存在だった。 こんな自分と共に生きる伴侶、それを得られればもっと満たされて、幸福で、もっと高みに昇れるのではないか、そんなことを考えた。 けれど、自分を変えたのは『女の子』ではなかった。 孫悟空。 あの少年。自分のプライドをこなごなに打ち砕いてくれて、その上更に強くなろうと望んでいる、あの脳天気な野生児。 * * * * * ヤムチャにとって金も権力も興味のないものだった。 ものごころ付いたときから孤高の盗賊として暮らしてきた彼は、持ちきれないモノは持たない主義だ。その日その日に必要なだけ得、不要なものは棄てていく。 突然出来た可愛い恋人に浮かれて、西の都なんて分不相応のところに住まいを移した、そこからすでに歯車は狂っていたのかもしれない。 「もう、やぁだ。鼻の下、伸ばしちゃって」 「あはは、そんな顔、してないよ」 デートの途中、ブルマが化粧室に消えた僅かな時間に、ヤムチャは通りすがりの女の子達に声をかけられる。そんなことは珍しくなかった。その度、ヤムチャは「連れが居るから」とハッキリ断ることをせず、しばし女の子達との会話を楽しんだりするのだ。 「やっぱり、西の都は都会だなあ。女の子がみんな、垢抜けててサッパリしてる」 女性への苦手意識が消えたヤムチャは、それまでの過去を書き換えたいかのごとく、寧ろ積極的にナンパを受け入れているかのように見える。それがもちろん、ブルマには面白くない。 恋人であるはずの自分も、通りすがりの見知らぬ子も、ヤムチャにとっては同じ『女の子』なのだ。 しかしながらブルマは気付いていなかった。 ヤムチャは決して、女の子にちやほやされることを喜んでいるのではない。否、そうであったほうがどれほど話が単純であっただろう。単に彼が「女の子にモテる」というだけのことであれば、ブルマはそれも、ヤムチャの価値を再認識する材料として、鼻を高くできたことだろう。アタシにはこんなステキな恋人がいるのよ、と喧伝して、自尊心を満たすことができただろう。 けれど彼にとって華やかな都会は、見識を広げる選択肢の一つ。 女の子達は、その風景にすぎない。 彼の心は常に、より強くなることにあった。 ヤムチャの見ているものは、それだけ。 ただ、それだけ。 * * * * * 一緒に暮らしている、なんて、そんな甘い関係じゃない。 好き勝手する男の、便利な止まり木を提供しているだけ。 便利に使われてる? 構わない、こっちも便利に使ってる。 男としての見栄えもいいし、女の子慣れしているから、エスコートも巧い。ワイルドで危険な香りがして、武勇伝も多いものだから話題に事欠かない。アタシの隣に連れて歩くのに、このレベルに達する男はそうそういないのだ。 最初の頃は、浮気を詰ったりもした。が、それもだんだん、形式化していった。特別な恋人の義務として、浮気は許さないという姿勢を見せ続けなければならない、そんな理由で。 「修行に行く」と言って出ていって、何ヶ月も何年も顔を見せないのもザラだ。 なのに、いつの頃からか、会えないことを寂しがらなくなった。 突然死んじゃったときもそうだ。確かにショックだったけど、あの時はそれ以外の感情もごちゃまぜで、純粋にヤムチャのことだけを悲しんでいたわけではない。 孫くんの兄と名乗る恐ろしい宇宙人の、もっと凶悪な仲間が来て、ヤムチャだけじゃなく天津飯も餃子も、ピッコロまで死んじゃったから頼みの綱のドラゴンボールもなくなって。 激しい戦闘が行われた場所を見れば、地形がぐちゃぐちゃに変わってて。 孫くんも悟飯くんもクリリンくんも、みんなボロボロで今にも死にそうで。 でも、直後に見出した希望。 未だ地球人が到達していない、宇宙への切符。 見知らぬ文明、人種、ドラゴンボール捜しへの冒険。 ごめん、ヤムチャ。 アタシあの時、わくわくしてた。 そして、もう一つ、ごめん。 アタシあの時、ときめいてたの。 孫くんに。 それからの大冒険、ナメック星人達との出会い、しばらくの共同生活。 ヤムチャを恋しがることがなかった。 だって、それまでもずっと、何年も顔を会わせないなんていつものことだったもの。いよいよポルンガが復活するとデンデくんに言われてアタシが思ったのは、「ああ、いよいよ孫くんが生き返る!」ってことだった。 ごめん、ヤムチャ。 あんたが生きてたとき、死んでたとき、生き返ったとき。 アタシの生活は何も変わらなかった。 * * * * * その日、珍しくヤムチャは、重力コントロール室の前に立っていた。 重厚なドアと壁で区切られて、中の音は何ひとつ聞こえないが、この中ではあのサイヤ人が猛烈なトレーニングをしているはずだった。 戦うことを本能に持つ、凶悪な侵略者。 その野獣めいた見た目とは裏腹に、几帳面で理論づいていて、つまりキッチリ決まった時間に彼は休憩時間を取るのを、ヤムチャは知っていた。 数分と待たないうちに、ドアのノブが回り、汗だくのベジータが姿を現した。 「‥‥よう」 声をかけるも、こちらを一瞥するだけで何も応えず、ベジータは通路向かいの休憩スペースに入っていった。構わず、後を追う。 汗を拭い、水を飲もうとするベジータの背中に向かって、ヤムチャは話しかけ続けた。 「そのままでいい、聞いてくれ」 「‥‥‥‥」 ヤムチャから話しかけてくるなど、初めてのことだ。いつもと違う雰囲気に、さすがのベジータも気になるのか、無言ではあるが振り返った。 「俺は、明日、ここを出ていく。もう戻らない。‥‥ブルマと、別れることにした」 ベジータの反応は、全くない。彼にとって、カプセルコーポレーションの住人が減ろうが増えようが、関係のないことらしい。 「ははっ、仕方ないよな。さんざん放ったらかしてたんだから、飽きられて当然だ。アイツの心は今、悟空のことでいっぱいだ」 悟空‥‥カカロットの名前が唐突に出てきて、ベジータの眉が上がった。けれど、ヤムチャはそれに気付かず、続けた。 「えーと、だから、俺は出ていくけど、おまえに言いたいのは‥‥」 「ブルマを、守ってくれ」 どう切り出すべきか迷いながら話していたヤムチャだったが、いざ話し始めると、堰を切ったように言葉が続いた。 「ブルマはすごいヤツなんだ。この地球でいちばんの天才で、あいつに何かあったら、この地球の文明レベルが変動する、本気でそんなレベルだ」 それはベジータもよく分かっている。先ほどまで入っていた重力室とトレーニング機器の数々、これらは全て、ブルマの手によるものだ。自分の要求に応えるのは当然‥‥と口では言いながら、何度、リアクションの正確さと速さに舌を巻いたことだろう。およそ、地球のような未開の星の住人には似つかわしくない技術レベルを、ブルマとブリーフ博士は所持している。 「俺、考えたんだよ。あの、未来から来た少年が何者なのか、って」 ヤムチャは語った。 あの、黒髪ではないサイヤ人。純血ではないというならば、宇宙を侵略し続けたサイヤ人がどこかに残した血のひとつなのではないか。 サイヤ人としての素性を知った少年は、やはりサイヤ人の王子であるベジータを頼って地球に、ここに、来た‥‥ならば、少年がカプセルコーポレーションのジャケットを着ていたことも説明が付く。 「おまえがあの少年に頼られて、ここを住み処として‥‥となると、あいつを乗せてきたタイムマシーンを作ったのは誰か、って‥‥想像がつくよな。寧ろ、ここの人間以外、誰がタイムマシーンなんてものを作れるんだろう?」 タイムマシーンを作って過去に干渉し、人造人間の支配する未来を変える。そんな大胆な考えを思いつくのは。ブリーフ博士か。 否。 ブルマしか考えられない。 「すごいヤツなんだ、ホントに。‥‥無邪気で、子供っぽくて、怖いモノ知らずだけど、そのおかげで助けられたこともある‥‥。美人でスタイルも良くて、怒りっぽいけどカラッとしてて、‥‥ああ、なに言ってんだろ、俺。女々しいな‥‥」 自分で言いながらヤムチャは、今更ながらブルマの魅力を思い出していた。都じゅうの可愛い女の子を何人も知っている、けれど、ブルマはその中で最高の女だった。否、順位付けをするとかそういった次元にない、特別な彼女、だったはずだ。なんで今頃になって思い知るのか。呆れた顔でこちらを睨み続けるベジータの前で、構わず続けた。 「凶悪な力を持つ人造人間と戦えるのは、俺たち戦士だろう。でも、そいつらを作った科学者ってのと戦うのは、きっとブルマだ」 きっと未来の世界で戦っているのだ。力では適わない、ならば、別の方向から攻める手段をずっと考え続けている。 人造人間と対等に戦える、非力で、唯一の人間。 「何て言えばいいか‥‥とにかく、ブルマを殺さないでくれ。人造人間との戦いが終わっても。ブルマだけじゃない、博士も、ママも、ウーロンも、悟空も‥‥」 言いかけて、ヤムチャは頭を振りながら「いや」と訂正した。 「悟空は、違うな。忘れてくれ、最後のは」 この男の目指しているものが何であるか、ヤムチャだって知らないわけじゃない。 追い抜かれてしまった、それを抜き返す。3年後に現れる人造人間、そんなものは眼中にない。可能ならば今すぐにでも『カカロット』を殺したいだろう。それを「殺すな」というのは、ベジータを否定することなのだ。 (意外と頭の回る男だ) ベジータは初めて、ヤムチャを評価した。 女とその仲間を殺すな、という安易な要求なら、聞く義理はないと一蹴出来た。 だが、この男は故意なのかそうではないのか、カカロットを除外してきた。 これでベジータは、ヤムチャの要求を無下に出来なくなってしまったのだ。 「ああ」 ようやく、ベジータが返事をした。 「俺は、カカロットを、殺してやる」 あの女の力は、認めざるをえない。今は、殺す理由はない。そういった意味では、この男と約束してやってもいい。 だが、カカロットは別だ。今、こうして血ヘドを吐きながら苦しい修行をしているのも、全てカカロットを踏みにじるためなのだ。 誰にも邪魔はさせない。ベジータは手にしていた水のボトルを握りつぶした。 「そうだな。そうだった」 言いたいことは言えた、とヤムチャは「じゃあ、3年後に」と部屋を出て行った。 「頼むな」 女々しいな、俺‥‥。 最後に未練がましく念押しをした自分に、ヤムチャは苦笑した。 「俺が守る」、ブルマに別れ話を切り出されたときに、どうしてそう言えなかったのか。 15年間の付き合いを思い返してみる。けれど、そこにやっぱりブルマの顔を思い出せなかった。 思い出されるのは常に、悟空の背中。 「じゃあ、3年後に」 ヤムチャは大きく息を吐いて、カプセルコーポレーションのドアを閉めた。 |
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