駄文050/キャラ考察/ベジータの父親の名前 |
2021年8月31日は、ベジ好ぎ5周年でした。すっかり忘れてました。正確に言うと、25日ぐらいまでは覚えてた。31日の夜に寝ようかと布団に入ったときに思いだした。イイワケをすると、8月がずっと忙しかった。やっと子らの夏休みから解放されたよぅ。 いやまあ、忙しくなかったらちゃんとやってたかというとそうでもなくて。とくに周年企画も何も無いしなあ。あえて言うなら、69fesの時に調子に乗って書いた作文の残りを書くべきであっただろうが、ヒマがなかった。ま、22年やってるもう1個のサイトでも何もしてないんだから、別にいいや。周年ひと桁の頃は、記念絵とかあったんだけどな。懐かしいだろ、記念絵。あと掲示板にお祝いカキコ。掲示板! カキコ!! そんな周年記念とか全く関係ない、今回の話題。 みんなはベジータの父親の名前がベジータで、それで納得してんのか、という話。 映画『ブロリー』で、ベジータが『ベジータ4世』と呼ばれたことで、自動的に父親はベジータ3世となった。 それまで、二次創作の世界では父ータを「ベジータ」とする設定は様々に目にしてきた。けれどそれは、あくまでアンオフィシャル、同人界のお約束ということだった。しかし映画でそういう設定になったので、父ータの名前がベジータであるというのが、公式設定になってしまった。 正直に言おう。わしはこれが悲しい。 だって、ベジータの名前は、ベジータが天才故に、生まれながらに惑星ベジータの名前を与えられたってことでしょうが。 つまり、ベジータが天才であることをかなり強く印象づける設定である、はずなのに。 王家に自動的に与えられる名前ってなると、天才度数が下がる思いがする。ベジータの名前の特別性が削がれた思いだ。みんな思わん? わしは思う。 ベジータって、がっちがちに「サイヤ人である」ことに拘ってる。宇宙最強の戦闘民族はサイヤ人である、と。「宇宙最強はオレだ」ではなく、「宇宙最強はサイヤ人だ」だ。少なくとも、初期のベジータはそうだ。オラは悟空だそんな名前で呼ぶんじゃねえという悟空も、もう名前も忘れてしまったナメック星人だいうピッコロも、ここまでの民族アイデンティティは持っていない。悟空のことは頑なに「カカロット」と呼び、伝説のスーパーサイヤ人になれるのは天才の自分だと豪語し、サイヤ人の手で仇を討ってくれと泣く。ベジータから『サイヤ人』という設定を抜いたら何も残らない、それほどまでにサイヤ人。サイヤ人が服を着て歩いてるが如し。 ベジータがサイヤ人の権化である証明のような、ベジータの名前『ベジータ』。 それがあっちもこっちも『ベジータ』がいたとなると、あっちもこっちもスーパーサイヤ人になった、まさにバーゲンセール状態だ。 定価で買ったベジータの名前が、今やワゴンセール。悲しい。 てゆう、わしの感情に同意が欲しい!! ベジータの名前はベジータだけが持ってて欲しいよう!! じゃあ何だったら納得するのか、とも考えたが。 それを言われると、映画化するまで設定が存在しなかったことを考えると、どんな名前を付けても「ええっ? そんな名前だったの??」というインパクトが、良くも悪くも発生し、映画を見ていた時点でのストーリーのノイズとなるのは目に見えている。何の引っかかりもなくストーリーを進行させるためには、やっぱり『ベジータ』しか無かったのか。いっそずっと『王』『サイヤ王』とかでもいいんじゃね? とも考えたが、そうなると「そこまで頑なに名前不明にしなくても」と、やっぱり心理的ひっかかりが出来る。 ベジータしか無かったのかなぁ。 あと、ブルマの母ちゃんの名前って、この先発表されるときはくるのかなあ。 おわり |
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