駄文039/原作考察/ベジータはどうしてあんなにヒモくさいのか。
時々は、生きてるってことをアピールしとかないとな。生きてますよ。ま、わたくしなぞ、そんなに皆様の認識の範囲には存在してないでしょうが。
というわけで本日は、なんでベジータはあんなにヒモくさいのか、という話でございます。

いやね、だいぶ前の話なんだけど。アニメ『超』を見てて一番ショックだったのは、天津飯が道場構えて門下生を集めてるシーンだったわ、って思い出して。

なんつーか、あの世界のあの戦闘バカだらけのなかで、いちばんまっとうな社会性を見せつけられた思いがしてね。

そう、ヤムチャが野球選手だったり、クリリンがスクーターに乗って巡査してたりするのは、まだ「世を忍ぶ仮の姿」な雰囲気があるんですよ。武天老師さまのとこで牛乳配達をしている、その延長線。己の実力がどんなふうに通用するかの片手間のアルバイト、そんなカンジ。
そして悟空の農業。
これはちょっと「ざわ‥‥」ってなった。初登場の野生児悟空が自給自足として庭の一画に野菜を植えているだろう場面は想像できても、ツナギ着てトラクター動かしてたら、それは『職業』だ。こんな世界観でも、生活費を稼がねばならぬという現実。

そこへ来ての、天さん道場。

みんなまっとうに稼いでる!!
この世界は、ええ大人は働いて稼がなきゃならん世界観なんだ!!

という中での、完全無職ベジータ。しかも情婦は大富豪で、本人は大食らい。

どう見てもヒモです、ありがとうございました。

なあもう。誰も働いてなかったら別にかまわなかったんだよ。
「どうやって生活費を稼いでるの?」って、そこらへん、あいまいでも誰も何も言わなかったんだよ。
冷静に考えて、亀仙人のじっちゃんとか、あんな孤島でどうやって生活してんだろう。でも誰も何も言わない。あの当時は、それが当たり前の世界観だったから。
生活費とはちょっと違うが、悟飯の『学者さん』ってのも、いいカンジに曖昧であった。とにかく戦闘バカのアンチテーゼとしての教育第一、猛勉強するひととしてイコール、学者。
学者とか言ってて、いったい何を研究しているのか一切不明。原作ラストエピソードで、平和な世の中になったことを示すためだけの設定。それでいいんだよ。これでネクタイ締めてどっかの大学に講義に行ってる姿なんぞが写ってたらドン引きであった。

で、ベジータの話に戻るが。
でも実際ベジータって、毎日なにやってんだろう。
これが現実世界のヒモなら、毎日パチンコにでも行くかもしれない(認識が古いですか、わし?)。いわゆるニートなら、ゲームしたり漫画読んだりネット巡回したり、なんでも時間を費やす手法がある。でもベジータって、なにやってんだ本当に。えー? ひとりで修行? そんでええのん? まだカカロット生きてる世界観ならいいよ、未来編のほうだよ。病むよ。

という流れでいこうと思ってます、未来編オムニバス。

などと思わせぶりなことを言って、バイバーイ。


余談。
バカボンのパパは、アニメ化において無職というのは据わりが悪いので植木屋という設定が与えられたと聞いたが。
ちびまる子ちゃんの父親って、原作でもアニメでも何やってんのか不明。アニメになったとき八百屋にしてりゃよかったのに。

余談2。
魔神ブウ編の序盤で、チチが「おっとうの財産が少なくなって」的な発言をしてて、てっきり牛魔王のおっちゃん死んだと思ってたら、最終回で生きててびっくりした。







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