駄文032/キャラ考察/フリーザ様というカリスマ
 何が言いたいのかというと、クリスマス前に立ち寄ったトイザらスで見つけたフリーザ様フィギュアを見つけて、「神棚に飾りてぇ」って思った、それだけの話なんだけどね。

 いったいなぜフリーザ様は、こんなに崇められるのだろうか。崇めてんのはわしだけかもしれんが。
 だって同じ棚にベジータもいたのに、ベジータフィギュアは欲しいとも思わんかった。ま、ベジータは黒髪派なのも理由だが。あーでも、今度発売される魔人ベジータはエエ表情してるなあ。これは欲しいかもなあ。話が逸れた。

 まず、フリーザ様はみんなが『様』付けで呼ぶ。あのベジータですら。
 ベジータなんて、王子なのに誰からも『様』って呼ばれない。瀕死の状態で帰還した先の管制官が辛うじて呼んでた。ナッパなんて呼び捨て。ラディッツは「キミ」って言ってたな、相手は王族だぞ、下級戦士の息子(まあこの、下級戦士の息子が何で王子と組まされてるのかもドラマ妄想の余地があるんだけど)。

 一人だけ輿に乗ってる。そうだよな、エラい人は自分の足じゃ歩かないわな。
 そう、エラい人は自分では動かない。座って指示を与える、それがドン。同じように、レッドリボン軍のレッド総帥も、ひたすら部下を動かしてた。そして隣に立つブラックも、なんという素晴らしき引き立て役。ザ・右腕。有能な部下を持つことで、己の能力の高さを誇示。やるねえレッド。
 そうそう、大量の部下ってのも要因。ザーボン・ドドリアに加えてギニュー特戦隊、それをヌキにしても部下の多さよ。パパと一緒に地球に来たときも、あんなに引き連れていたじゃないか。
 やっぱり、この「みんなが担いでる」状態ってのは、カリスマの大事な要件。だからこそミスター・サタンもカリスマ。魔人ブウ編ラストの、元気玉を集めるシーンのベジータのカリスマの無さには泣きそうになる。正直、ベジータって王子を自称するクセに王族の風格、無いよな。やっぱりエラい人は自分でちょろちょろ動いたらいかん。

 中尾隆聖の声。あれは見事なハマり役だったな。あのオカマっぽい口調が、フリーザ様のキャラを決定づけたと言っても過言ではないわ。
 余談であるが、今、娘の要望で『スイートプリキュア』シリーズをレンタルDVDで見てるんだけど。アレのラスボスが中尾隆聖で。フリーザ様やってるから、ボスキャラ役が回ってくるようになったのかなあ、って思った。池田秀一が何でもシャアをさせられるみたいに。
 あと、プリキュアのラスボスは洗脳して世界を征服しようとしてるんだけどね。アレだよね、洗脳して世界征服って、支配者としてザコだよね、って思った。

 そう、実力で支配の頂点に立ち、誰からも崇められる、それが真のボスなのだよ。

 ここまで言ってて、今のアニメってどうなってんのかなあ。フリーザ様がすんごい小者になってたらどうしよう。


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